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終章:魚の話
早鐘のように鳴る心臓の鼓動が、うるさくてならない。
落ち着け。
これは、あの女のいつもの手だ。
あいつはいつもいつも、こうやって俺の気持ちを試そうとしてきたじゃないか。その手に、何度引っ掛かってきた?
だいたい、あいつが本当にそこまで俺とよりを戻したいと思っているのなら、なぜ向こうから会いに来ようとしない?
俺の新しい自宅は教えていないが、職場は知られているのだ。その気になれば、いくらでも押しかけることはできたはずだ。
それなのに、なぜあの女がそうしていないのかと言えば、その答えは簡単だ。
俺の気持ちを試すためには、俺の方から来させる必要があるからだ。
自分の方から会いに行ったのでは、まるで俺ではなく自分の気持ちの方が試されたかのようになってしまう。それが嫌だったのだ。
そうに決まっている。あいつは、そういう女だ。
自分は相手の気持ちをさんざん試してきたくせに、自分の気持ちが試されるのは嫌なのだ。なんたる傲慢。なんたる身勝手。そんな傲慢で身勝手な女が、本当に自ら死んだりするものか。
俺はだんだん、元妻からのメッセージを見てしまった自分自身にも腹が立ってきた。
そもそも、なんで俺はあの女からのメッセージを単に非表示にしたんだ? 受信自体を拒否する設定にしておけば、こんなものを見ずに済んだのに。
いや、今からでも、見なかったことにするんだ。もうこれ以上、あの女の茶番に振り回されるのはごめんだ。俺はあいつから、自由になるんだ。
どうせ向こうは、こちらが返事をするつもりがないことを理解して、俺にはさっさと見切りをつけ、次の男をつかまえているのだ。
人の気持ちを試そうとするような上から目線の人間なんて、そんなものだ。
それなのに、こちらだけ気に病まされてたまるものか。
俺はこんなメッセージなど、いっさい気にせずに、生きていく。
俺はそう決意すると、メッセージアプリを閉じてスマートフォン自体もポケットに戻し、半ば握り潰してしまっていた小魚のかき揚げバーガーの残りを無理やり口に押し込んだ。
ふと見ると、隣で話していた女子高生二人組は、いつの間にかいなくなっていた。
まったく、あいつらが食事時に相応しくない話さえしていなければ、こんな思いをすることも無かったのに。
内心で毒づきながら、魚の身を咀嚼し、飲み込もうとする。
その時、ガリッ、と小石のような硬いものを噛む嫌な感触があった。
畜生、本当にとことんついてないな、今日は。
いらだちながら魚に混入していた異物を紙ナプキンの上に吐き出し、その正体を確認しようとする。
それは、見覚えのあるものだった。
俺がかつて、あの女に贈った指輪だ。
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