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そうして三度目になり、その人は私の前にようやく姿を現した──。
会社のフロアを移動する階段の途中で、手すりをつかんでいた私の手に、不意に重ねられた手があって、「あっ…」と反射的に顔を上げた。
「……おはよう。総務部の斉木 圭乃さん」
言って、男は唇の両端を引き上げるようにして薄く微笑った。
「あ、えっと……確か…」
言いかける私の声を遮って、
「俺は、開発事業部の……」
そこまで言いかけて、片手を重ねたままで、もう一方の手でふっと私の頭を引き寄せると、
「重成 匡一。……忘れないでいてくれよな?」
耳元で、声をひそめるようにして囁きかけた。
「…えっ…あ…」
吹きかかる吐息に、思わず耳を手で押さえると、
「……じゃあ、覚えといてくれよ。俺のこと」
その僅かな隙に彼は手を軽く振って、革靴の音を響かせ階段を駆け上がって行ってしまった──。
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