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台詞で出来た手紙
先輩から渡された手紙は、すべて、台詞でできていた。
「ひとりでもちゃんとやってる? 台本自分で書かなきゃいけないんだから。早めにやりなよ」
その文を、何気なく口に出してみる。
感情の乗っていない、無機質な声。教科書を読むときのような抑揚のない音読が、一人きりの部室に響く。
これじゃ、駄目だ。
「……ひとりでもちゃんとやってる? 台本自分で書かなきゃいけないんだからさ、早めにやりなよ」
ここにいない先輩の姿を思い浮かべながら、感情をこめて、その台詞を読んだ。窓に映る自分の表情は硬く、ぎこちない動きがひどく不格好だった。
つくづく、自分は演劇というものに向いていないらしい。ここ二年間、ほぼ毎日といっていいほどに先輩の演技を見てきたというのに、真似ることすらできやしない。先輩はもっと、滑らかに動いていた。演技として不自然すぎず、それでも大振りで、すこし離れた客席からでもよく映えた動き。特別美人だったわけでもなければ、背丈があったわけでもない。それでも、舞台の上の先輩は、誰よりもきれいで、誰よりも説得力があった。
「……先輩、私には無理です」
ああ、こんなアドリブを入れたら、きっと先輩は怒るだろう。
――高校演劇は前向きに、爽やかに。
何度も言い聞かされてきた言葉を思い出すたびに、泣き出してしまいそうな気分になる。
――わざとらしいくらいに前向きなほうが、高校演劇らしいでしょ。
そう言われるたびに私は「わかってますよ」と投げやりに返し、話題を他に逸らしていた。本当は、高校演劇らしさなんて全くわかっていなかった。ただまっすぐ、一所懸命に演劇に向き合っているあの人に、「わからないです」と答えるのが恥ずかしかったのだ。わからないと正直に言えば、先輩は丁寧に説明してくれただろう。それでも、私はそうしたくなかった。先輩に頼り切りの駄目な後輩じゃなくて、先輩のことを理解しているいい相棒になりたい。そんな昔の自分の強がりが、今の私を苦しめているのだ。
「やってます。でも、なかなかうまく書けないんですよ。どうやったらうまく書けますかね」
台本に書かれた、正しいセリフを口に出す。
嘘だ。実際は、まったく手を付けていない。先輩が卒業してから、毎日部室に来てはルーズリーフを広げ、何も書けないまま帰宅時間を迎える日々を送っている。参考にしようと先輩の書いた台本を読んだり、「ストーリー 書き方」と検索してみたり。だが、どんなことをしたって結果は変わらない。どんなに調べても、どんなに悩んでも、先輩の書いた台本のような面白いストーリーは浮かんでこないのだ。
「台本なんてさ、簡単だよ。手紙だと思って書けばいいんだから。好きなことを書きな」
先輩役の台詞を読み上げ、部室中に響き渡るほど大きなため息をつく。
また、手紙だ。今の私を最も苦しめていると言っても過言ではないその単語に、つい顔を歪めてしまう。
先輩が卒業する前、私は馬鹿の一つ覚えのように、何度も「どうやったら面白いストーリーができますか? 」と聞き続けた。だが、何度聞いても先輩は「手紙だと思って書いたらいいよ」としか返してくれない。それ以上は、いくら聞いても答えてくれなかった。普段は優しく、どんな疑問にも丁寧に答えてくれる先輩だったが、これだけは譲らなかった。
――自分で考えられるようにならないと、これから大変でしょ。
叱るような口調でそう言った先輩は、眉を下げて笑い、私の頭を撫でてくれた。彼女より高い位置にある私の頭を撫でるには、精いっぱい腕を伸ばさなければいけない。先輩は、そんな幼い仕草すらきれいだった。
先輩は、舞台に生きているのかもしれない。そう錯覚してしまうほどに、舞台上の先輩はきれいだった。
あんなにきれいな人だから、人の心に響く台本を、――手紙を、書けるのだろう。
「手紙って何なんですか、先輩……」
卒業前に手渡された台本を閉じ、一人きりの部室で呟きを漏らす。
部室に来て一時間半も経ったというのに、ルーズリーフは今日も真っ白のままだった。
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