最期にこれだけ

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 一夜の関係を持った女の子に別れを告げ、アパートの前まで来ていた。日曜日なのですることもない。帰ってもうひと眠りしようと思っていたところだった。アパートの前で家の鍵を探していると、カバンの中で鍵を下敷きにしていたスマホが振動する。 『着信:亜希のお母さん』  娘の元カレになんの用だろう。怪訝な顔をして通話ボタンを押すと震えた声が流れた。 「あ、亜希が、交通事故にあって、私たちが着いたときにはもう……」  血の気が引くとはこういうことだと思った。  電話で告げられた病院に行くと一週間ぶりに見る亜希の姿があった。顔に白い布をかけられて。  朝、郵便局に出かけた帰りに居眠り運転に撥ねられて即死だったそうだ。顔に目立った傷は残っていなかったので、本人を前にしてもまるで実感が湧かない。辰巳の部屋で先にベッドに入ってしまった亜希と、まるで変わらないように見えた。  亜希の両親は辰巳たちが別れたことを知らなかった。まだ一週間しかたっていなかったから報告していなかったのだろう。  言ってしまおうかとも思ったが、泣き崩れる二人に 「俺の浮気が原因で亜希さんとは一週間前に別れました」 とはどうしても言えなかった。  それからはとても慌ただしくて、よく覚えていない。故人の彼氏として、家に帰る間もなくお通夜の準備を手伝った。  やはり実感が湧かなかったので泣いたりはしなかった。ただ、なんだか悪い夢を見ているような気がして、時折ぼうっとしていた気がする。辰巳を見てショックを受けているのだろうと解釈した周りの人は誰も不審がらなかった。 お通夜でもやはり誰もが辰巳を亜希の彼氏として接した。浮気のことなど誰一人口にしなかった。亜希は誰一人として二人のことを話していなかったらしい。亜希の一番の親友でさえ何も知らなかった。
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