最期にこれだけ

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 お通夜の帰り、亜希のお父さんに手伝いのお礼を言われながら辰巳は会場を後にした。 「本当にありがとう。こんな彼氏がいて、亜希は幸せ者だよ」  何て返して良いのか、分からなかった。  夜の涼しい風が体を冷やす。魂を抜かれたように何も考えずに歩いてアパートへの道を歩いた。  今生きている現実が何かの夢なんじゃないかと思えて、何も考えられなかった。頭の片隅で、そういえば亜希は郵便局に何をしに行ったんだろうと他人事のように考えた。  アパートの隣の建物の前で足を止めた。安っぽいラブホの看板の光がピカピカと無機質に辰巳の顔を照らしている。  バレない訳が無いよな。  ラブホに入っていく仲良さげな一組の男女を見ながら思い返す。  あの土曜日の夜、亜希に 『飲みで遅くなる』 と連絡を入れた辰巳は夜の街に出かけた。  毎週土曜日はお泊りの日だと分かっていながら。その日は辰巳の部屋に亜希が泊まる予定だったことも、合鍵を使って亜希が部屋で待っていることも、分かっていながら。 『付き合いだから仕方ないよね』 と言って亜希は許してくれた。 『待ってる』 とも言ったっけ。声に感じた寂しさに気づかないふりをしたことも、まるで映像を見ているようにはっきりと鮮やかに、辰巳には思い出せた。  大いに飲み、そしてナンパをした。女の子に引っ張られてラブホに入った。他のどこでもない、家の隣の。  ラブホの入り口からアパートを見上げるとちょうど、辰巳の部屋の窓が見える。亜希はあの日も窓からここを眺めていたのだろう。あそこからは仲睦まじいカップルが見えていたんじゃないか。  そんな中で自分のところに帰ってくるはずの辰巳が、酔っぱらってラブホに入っていくのを見るのはどんな気持ちだっただろう。キレイな横顔が涙で濡れるところが目に浮かぶ。  あの時は酔っていて、どこを歩いているのかよく分かっていなかった。まさかこんな近くの店だとは思いもしなかった。あの時別ところを選んでいたら、こんなことにはならなかったのだろうか。  また一組、くっつきながらラブホに吸い込まれていくカップルを見送ってから、辰巳は自分のアパートに入った。  階段の手前にあるポストを機械的に開ける。昨日は朝に慌てて出て行って確認しなかったから、二日分の新聞や広告が詰め込まれている。まとめて取り出すと間から封筒がするりと抜けた。  淡いピンクの封筒は、差出人の名前と住所を辰巳に見せつけるように裏返しに落ちた。 『遠藤亜希より』  しばらく、体が動かなかった。                 ***
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