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「…ごめん、そういうんじゃないんだ」
「え…」
大晦日。小鞠が今年最終の回覧板をマンションの隣室に届けに行くと、玄関まで応対に出たのは実家に帰っていた至だった。
みかんを大量に貰ったとかで台所まで取りに行こうとした至を引き留め、ドアの内側に入り込んだ小鞠は、思い切って聞いてみた。「結婚を辞めたのは、私の事が好きだから?」、と。だが、至の返事は小鞠が望んでいたものとは違った。
「小鞠は俺にとって、やっぱり、普通に可愛いお隣さんで、可愛い…可愛くはないけど、大事な生徒って思ってて、そこは絶対というか、それ以外には考えられない」
「そう……」
その返事の可能性も十分に考えていた小鞠はがっかりはしたが、動揺することまではなかった。
「でも、あの手紙が考え直すきっかけにはなったな。このまま結婚していいのかって」
「え…」
やはりまだ希望があるのかと、小鞠は一気に表情を明るくしたが、至の方はといえば苦笑いを返しただけだった。やはり、そういうことではないらしい。
「彼女とは大学の時からなんとなく付き合ってて、それぐらい長く付き合ってたのは、まあまあ気が合ってたからではあったんだけど…」
至は、一度話を区切った。
「結婚の話が出て、女の人の二十代後半を使わせちゃったし、ちゃんと責任とらなきゃとは思って……って、こんな事情、高校生にはわからないよな」
そう言われた通り、アラサー男女の事情に関して、結婚など意識したことがない十六歳の小鞠に共感できる要素はこれといってなかった。しかし、結婚がなくなった件に自分が影響を与えたというのなら、小鞠はちゃんと知っておきたかった。至の口から、直接。
「わかる、とは言えないかもだけど、至くんは私の手紙読んじゃったじゃん。そっちも、正直に話してよ」
小鞠がとった至の罪悪感を擽る作戦は、成功した。
「うん…。そろそろ結婚すべき頃合いかなって、思ってたんだ。でも、小鞠からの……真っすぐな手紙読んで、責任とか頃合いで結婚して…それも一般的にごく普通のことなんだろうけど、俺は、なんか違うかもと思った」
小鞠が固まったかのように無表情になったのを見て、至は慌てて付け足した。
「別に、小鞠のせいで結婚駄目にしたって訳じゃないから。むしろ、今まで状況に流されてフワフワし過ぎてたのが、冷静になったってだけで、本当に、それだけだから」
「別に、責任押し付けられてるなんて思ってないよ」
「そっか…。あ、そうだ、みかん」
急にその場に居辛くなったのか、至は逃げるように部屋の奥の方に消え、しかし、それからすぐに戻ってきた。みかんがたくさん入ったビニール袋を手に提げて。
回覧板とみかんを交換し、「それじゃあ、良いお年を。おじさんとおばさんにもよろしく」と至に言われてしまえば、小鞠が辻橋家の玄関にいていい理由は、もう何もなかった。頭の中をまだ整理しきれない小鞠は至に頷きだけ返すと、無言でドアを出て自宅に引き返そうとした。
だが、ドアが閉まり切る前にもう一度大きく開けると、直ぐ近くにいた至の顔を見上げ、小鞠ははっきりと、おおきな声で宣言した。
「もし、これからずっと結婚できなくて、あの時結婚してればなぁって思う時が来たら、私が責任とって、結婚してあげるよ!」
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