空っぽの手紙

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僕の母親は、画家を目指していた。 画家なんて今の時代、いや昔からそうなのかもしれないけれど、ほんの一握りの人間しか活躍することができない。 母は若い頃に小さな個展を開くような実力はあったらしいが、大願を果たすことはできず、画家の道を諦めて小さな絵画教室を開いていた。 それでも自分の理想を諦め切れなかった母親は、僕の命をお腹に授かった時、もう一度その夢を目指そうとしたらしい。 自分自身の手ではなく、今度は僕の手で。 けれど、そんな母親の夢は、僕が4歳の頃に呆気なく終わってしまう。 育児も兼ねて、母は絵画教室に幼い僕をよく連れて行った。 そこで、他の生徒と同じように我が子にも筆を持たせて絵の練習をさせようとしたのだ。 目の前にあるのは真っ白な画用紙と、絵の具の箱。最初の課題はたしか、『空』だった。 自分と同い年くらいの生徒もいる中で、僕は母親に褒めてもらおうと無我夢中で画用紙に色を塗り続けていた。 自分が知っている空を、誰よりも上手に描いてやろうと。 一通り書き終えた頃、母が生徒たちの絵を見ながら一つ一つ感想を述べていた。 もうすぐ自分の番だ。 逸る気持ちを抑えきれず、幼かった僕は画用紙を両手で持つと、母に向かって精一杯腕を伸ばした。 自分が初めて書いた絵を、喜んでもらえると思って。
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