act.01

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act.01

 「おい! ミツの野郎はどこに行った!」  "暴君"の烈火の如き怒鳴り声に、スタジオ中が震え上がった。 「ミツだよ! 撮影に立ち会うつってたろ!」  彼独特のハスキーだが伸びのある太い怒鳴り声が、周囲のスタッフの身体を殴った。  スタジオ内にいた十数人のスタッフが、無言で顔を見合わせる。  その様子に業を煮やした暴君は、手近にあった胸倉を引っ掴み、唸るように言った。 「お前ら、俺の言ったことが聞こえなかったのか? それとも、集団で俺の言ってること、スルーしようって魂胆なのか? ええ?!」  暴君は、平気で理不尽な発言をよくする。  それに周囲は振り回される訳だが、彼の絶対的な映像クリエーターとしての才能に誰もが惚れ込んでいるので、およそ歯向かえない。  彼に面と向かって文句が言えるのは、先ほど彼が「ミツ」と呼んだ人物だけだ。 「 ── あと30秒でミツが来なかったら、仕事しねぇからな、今日」  そのセリフに青ざめたのは、プロデューサーの笠山だ。 「お、おい! 早く誰か定光を捜してこい!」  慌てた数人が、スタジオを飛び出して行こうとする。  笠山をはじめこの場にいる全員が、暴君が真面目にそう言っていることをわかっているのだ。  血相を変えたスタッフがスタジオから転がり出ようとした時、防音処理をした分厚いドアが突如開いて、"救世主"が現れる。 「笠山さん、例のロケ地、やっと交渉が成立しました」  そう言いつつ笑顔を浮かべた救世主は周囲を見回し、「あれ? 撮影、始まってないの?」ととぼけた声を上げた。 「ミツさん……」  彼と鉢合わせした形の若手スタッフが、ヘナヘナとその場に座り込む。  若手スタッフに手を差し伸べながら、救世主が「なんかあったの?」と訊いている側から、ドカドカと大きな影が彼に近づき、その唇をムチューと奪った。 「!!!!」  定光は目を丸くして悲鳴を上げたそうな表情を浮かべたが、誰も暴君の突拍子もない行動を止めるどころか、むしろそれで暴君の気がすむなら放っておけとの空気感が漂った。  チュッと音を立てながら顔を離した暴君は、ビックリ顔の定光をジッと見つめると平手で彼の頭を叩く。 「イテッ」  思わず頭に手をやる定光に、暴君は満足げにニヤリと笑うと、踵を返し、「さぁ、お前らボケボケすんな。さっさと照明当てろ! カメラ回せ!」と怒鳴った。  何事もなかったかのように、スタジオ内が動き始める。  今の惨事をなかったことにされた定光は頭を抱えたまま、暴君と知り合ってから口癖となってしまったその一言をポロリと呟いた。 「 ── アイツのせいで、気がおかしくなりそうだ」  そしてそれを聞いた周囲の人間もまた、こう答えるのが通例となっていた。 「ミツさん、心中お察しします……」  定光慶(さだみつけい)は、現在29歳。  映像制作会社『パトリック』でプロダクションマネージャーという仕事についている。  パトリック社は、数多ある映像制作会社の中でも、主にミュージシャンのMV ── ミュージックビデオや、企業のイメージ広告、製品のCM制作など、比較的短時間の映像作品を手掛けている会社である。  プロダクションマネージャーとは、ようするに雑用係のようなもので、小道具の準備からロケ地や出演者への交渉、車両の手配やスケジュール管理などをこなすとても忙しい仕事だ。  だが、彼を日頃悩ませているのはその激務ではなく、ひとつ年下の傍若無人な天才ディレクター・滝川新(たきがわあらた)の存在だ。  滝川は、「彼が撮ったアーティストは必ず売れる」とのジンクスがついているパトリック社専属の映像監督だった。  パトリックが小規模の会社でありながらも決して大手音楽事務所にぶら下がらず、それでもコンスタントに高収入な仕事が得られているのは、ひとえに滝川の才能によるところが大きい。滝川が仕事の対象をひどく選り好みするタイプの男であったとしても。  だが同時に、滝川の荒れた性格や私生活もまた有名で、酒の飲み過ぎで警察に保護されることも数回では収まらず、浮名を流した女らが彼を訴えると騒いだり、会社事務所に乗り込んできて自殺騒ぎを起こしたりと惨憺たるものだった。  くしくも一般人の間に滝川新の名を一躍有名にしたのは、彼の映像作品ではなく、彼を取り合いするためにパトリック社映像制作部の事務室で醜い女の争いを繰り広げた有名女優と売れっ子女性アーティストのゴシップ記事だ。  その時は定光がその場を収めてなんとかしたが、会社の信用問題に関わるような大きな出来事だった。  当の滝川はその際、事務室に仕掛けた隠しカメラの映像を別の部屋で他人事のように呑気に眺めていて、代わりに仲裁に入った定光が両陣営から泣きつかれたり引っかかれたりしている様を、腹を抱えて笑い転げながら見ていたと言う。  定光は、化粧台の前に並べられていた道具を片付けていた。  スタジオはほとんどの照明が落とされ、明かりの灯された化粧台だけがぽっかりと浮かび上がっており、その周囲に残って後片付けしているスタッフも数人しかいない。 「ああ、ミツさん! そんな片付け、私がしますよ!」  今しがたスタジオに戻ってきたヘアメイクスタッフの有吉瀬奈が、化粧台の片付けをしている定光を見て、小走りにやってくる。  定光はいつも通りの穏やかな笑顔を浮かべると、「出演者達の髪の毛、洗ってたんだろ? これくらいの片付け、俺がやっておくよ」と言った。  今日の出演者は髪の毛をスプレーでガチガチに固めていたことを知っていたから、瀬奈が後片付けに苦労することは見越していた。  瀬奈も笑顔を浮かべながら、「ミツさんこそ働き過ぎなんですから、少し休んでください」と言いながら化粧台の前の椅子を引いて、定光に座るように言う。確かに昨夜は自宅に帰れず会社に泊まり込んだから、疲労は溜まっていた。  定光はほっと息を吐き出して、「お言葉に甘えようかな」と呟き、椅子に座った。その目の前で、瀬奈がテキパキと道具を片付けていく。しかしふとその手を止めると、鏡の中に映る定光の姿を見て、言った。 「ミツさん、随分髪、伸びてますね」  確かに瀬奈の言う通りだ。色素の薄いウェーブがかった髪が肩を越すぐらい伸びさらばえている。  定光は両手で顔を擦りながら、「仕事が忙しくて、床屋に行く暇がない……」と溜息混じりに呟いた。  瀬奈は今しがた片付けたハサミを取り出し、「カットしましょうか?」と言った。 「いや、でも悪いよ」 「いいんですよ。この後別の仕事は入ってないし。ミツさんだって、数日後にトライデントの社長さんのところに挨拶に行くんでしょ? 髪、整えておいた方がいいんじゃないですか?」  ── 確かに、その通りだ。  定光はその予定をはたと思い出し、「じゃ、お願いしようかな」と答えた。  瀬奈が手際のいい手つきで、定光の髪を切っていく。  定光は、ぼんやりと鏡に映る自分の姿を眺めた。  黒いTシャツにジーンズというシンプルな格好の上に乗っかっている顔は、『定光』と名乗るにはおよそ違和感のある姿をしている。  顔を見るだけでは、『ジョージ』とか『アダム』とかという名前が相応しい顔つきだ。  父親が日本人で、母親がバルト三国のひとつラトビア生まれなのだが、定光は母の血が濃く、まるで白人のような面差しをしていた。  鼻梁が高く、透き通るように白い肌の色をしている。瞳は非常に淡い鳶色で、髪の毛もイエローがかった明るい色のブラウンで、毛束ごとに色の濃淡がある。まるで美容院でメッシュでも入れたような髪色だったが、もちろんそれが地毛の色だ。  父親似の姉・亜里沙とは全く似ておらず、「あんただけ得してる」と会う度に恨み節を聞かされているが、定光からしてみれば、こういうルックスで苦労こそすれ、得した思い出は余りない。  日本生まれ日本育ちゆえ英語は喋れず、母親の影響で若干ラトビア語は話せるが、むろんネイティヴのように流暢には話せないし、日本国内でラトビア語が必要になるシチュエーションは、まずお目にかからない。  なのに幼い頃から初対面で会う人には「え? 英語しゃべれないの?」と言われ続けてきたし、中学生の頃は学ランだったから、電車の中では「外人が制服着てる」とヒソヒソ話をよくされた。おまけに学校では、細めのクセ毛がぱっと見緩くパーマをかけているように見えるため、生活指導の教員が転勤してくる度に呼び出された。  病院に行けば「定光さん」と呼ばれ返事をしても取り合ってもらえず、必ず身分証明書の提示を求められる。地方の駅でホームの場所を訊けば、思い切り初歩的な日本語を並べられ、子どもに説明するような話し方をされる。街を歩けば、欧米の観光客にやたら声をかけられ、英語で道を訊かれる。  挙げ句の果てには心ない人々に、「外人にしては背が低いよね」と言われる始末。 ── 定光の身長は178cmだから、日本人としては高い方だ。  いくら「俺は日本人なんだよ!」と言っても、まず聞く耳は持たれない。  定光も自分が日本人のルックスと乖離しているのは自覚しているので最近は諦めているのだが、これで海外に仕事で出たりすると、逆に日本人扱いされたりして戸惑うこともある。  社内ではむろん全員定光がハーフであることは知られているので、そこら辺の苦労は余りない。定光が容姿のことを気にしていることも緩やかに気付かれているせいか、そのことに触れてくる人間もいない。唯一、滝川を除いては。  滝川との出会いは、5年前。  出会いの印象は最悪だった。  大学を卒業してパトリック社に新卒採用された定光は、当初グラフィックデザイナーという職種での採用だった。  パトリック社は社内にグラフィック制作部を抱えており、そこでアーティストのアルバムジャケットや販促ツールの制作も受注しており、定光はデザイナーの1人として入社したのだ。  グラフィック制作部は、渋谷区千駄ヶ谷にあるパトリック社の自社ビル5階の一番奥に位置していたから、主力の映像制作部の連中とは完全に隔離されており、ディレクター陣以外は社員の直接的接触は極めて少ない。  唯一他の部署と交わるのは忘年会の時だけで、その時に初めて顔をあわせる社員もいた。  とはいえ、ハーフの定光は良くも悪くも人目を集め、忘年会では他の部署の女性陣から毎年熱い視線を受けるのが恒例だった。  その忘年会で“事件”が起こったのは、定光がパトリック社で三度目の忘年会を迎えた年だ。  アメリカ帰りの異色の新人ディレクターがいるらしいぜ、と先輩デザイナーに耳打ちされたのも束の間、いきなりその"異色の新人"が2人の間に割って入ってきて、定光に「ヒゲを剃れ」と詰め寄ってきたのだ。  当時、自分の容姿にコンプレックスを感じていた定光は、その美貌を隠すように、口から顎にかけて濃いヒゲを生やしていて、黒のボストンメガネをかけていた。あまりにも自分の見てくれだけに寄ってくる女性が多いことに閉口してのことだった。  それなのに滝川はそんな定光の気持ちなど何処吹く風で、「ヒゲを剃れ」の一点張りだった。  重めの二重に縁取られた好奇心に輝くクリクリとした真っ黒い瞳と、如何にもやんちゃそうな顔つきが印象的な男前だった。薄めの唇の左上にある小さな黒子がアクセントになっていて、妙にそれが色気臭い。  身長も定光より少し高く、ガタイもしっかりしていて、確かに純血の日本人のはずなのだが、そのスケール感はどこか定光よりよっぽど外人らしい雰囲気を醸し出していた。  今でこそ、それなりに普通の黒髪の短髪ヘアである滝川だが、その当時は坊主頭が少し伸びたような髪型をしていて、それを真っ赤に染めていた。  更にもみあげから顎のラインに沿って髭をキレイに生やしており、二の腕には明らかにアメリカで入れたと思しき、大きな炎の刺青が左腕の袖口から垣間見えていた。  おまけに忘年会の時の出で立ちは、12月末だというのにオジー・オズボーンの不気味な顔がプリントされたTシャツ一枚にジーンズ。確かに"異色"と言わしめるだけの格好と雰囲気だった。  一体どんなきっかけでうちの社長が雇ったんだ?とその場にいた全員がそう思った。  後から聞くと、滝川は忘年会直前にサンディエゴから帰国したばかりで、冬服を一切持っていなかったのが原因だったそうだが、それにしてもインパクトは十二分だった。  滝川が入社した経緯は、社長の山岸が夏の休暇で渡米した際にロサンゼルスの芸術専門学校にいる知り合いの日本人教員から「面白いヤツがいる」と紹介されたのがきっかけだったらしい。  学生という身分でありながら、学校のあるロスには住まず、ロスから一時間半も離れているサンディエゴに住み、課題提出時のみ学校に姿を見せる……というおよそ模範生とは言い難い学生だったらしいが、その映像センスは教員全員が目を見張るものがあり、その才能のお陰で学校をクビになることをギリギリ免れていたような若者だった。  通常2年で卒業するところを倍の4年もかけて卒業した身でありながら、山岸からの誘いを暫くは断り続け、約半年間のらりくらりとした挙句、12月になって突然考えを翻して山岸の申し出を受けたらしい。  そんなバックボーンを持っているだけに、彼は定光とは別の意味で皆の視線を集める男だった。新人のくせに早くも只者ではないカリスマ性を感じさせていた。  だが定光は、初対面なのに不躾な態度を取る滝川に、いい印象は持たなかった。  元来定光は陽気で温厚な性格の人間だったが、そう乱暴に距離を詰められると途端に警戒心はMax状態となった。 「新入りの言うことを聞く気はないね」  手厳しくそう言い放った定光に、滝川は口を尖らせると、プイッと飲み会の席を出て行った。  一瞬その場が嫌な雰囲気に包まれたのだが、問題児がいなくなったという安堵感も広がったのも事実だった。  そして台風の目がいなくなって普段の忘年会に戻った・・・と思ったのも束の間、滝川が全身に鳥肌を立てながらも悪戯小僧のような笑顔を浮かべて帰ってきた。その手に握られていたのは、どこかのコンビニで買ってきた髭剃りフォームとカミソリ。  一同目を丸くしている間に、滝川は暴れる定光を器用に押さえつけ、キレイにヒゲを剃り落してしまった。 「 ── なるほど、そんな顔か」  剃り終わった滝川がぽいっとカミソリを放り投げ、メガネまで奪い取ってしまうと、なぜか滝川は、女性陣からヤンヤヤンヤの大喝采を受けた。皆、定光の素顔を拝んでみたいと思っていたらしい。  定光が顔を真っ赤にして滝川を突き飛ばすと、滝川はハハハハハと意外にチャーミングな笑顔を浮かべ、「お面相がいいのに、勿体ぶって隠してるからだ」と言い放った。  益々カッと血が昇った定光は、立ち上がって滝川を指差すと、「お前に俺の気持ちなんかわかるか! ってか、敬語使え、敬語!」と入社以来初めて本気でキレて怒鳴り散らす羽目となってしまった。  ということで、定光と滝川の出会いは最悪だった。  あれ以来、滝川は定光に対して・・・いや定光はおろか山岸に対しても一切敬語は使わないし、定光が無精髭の範疇を超えて更にヒゲを生やそうとすると、どこからともなく現れて定光のヒゲを剃って行くし、メガネをかけるとそれを奪い取って行くのだった。
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