act.05

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act.05

 「 ── つまんねぇ仕事だな」  資料にざっと目を通した滝川は、開口一番にそう言った。  定光は頷いた。 「ああ。俺もそう思う」  滝川がチラリと定光を見る。  別に怒るでもなく、定光の心を探るように上目遣いで見つめてくる。  面白くないと定光自身が思っている仕事をわざわざ持ってくるだけの理由を、推し量っているのだ。  定光は心の中を見透かされたような気がしてたまらない罪悪感を感じ、唇を噛み締めた後に「ごめん」と謝った。  滝川が、フッと顔を綻ばせる。  こうして大人しくしている滝川は、定光よりずっと大人びた"いい男"の雰囲気を醸し出す。  滝川は新たなタバコを咥えながら、「なんでミツが謝るんだよ」と言った。 「笠山さんに頭を下げられて、断れなかった」  定光がそう言っても、滝川は「まだ言うことがあるだろう?」とでも言いたげに定光を見つめ、タバコを吹かす。  定光はフッと息を吐き出すと、重い口を開いた。 「 ── まるでお前の才能を、俺が安売りした気分だ」  滝川がタバコを咥えたまま、笑う。 「安売りしたのは笠っちだろ。お前じゃねぇよ」 「一緒だよ。俺はこうしてお前に仕事の資料、見せに来てるんだから」  滝川は大きく伸びをして、自分で自分の髪の毛をくしゃくしゃと掻き乱した。それを見て定光は、滝川に少し頭痛の片鱗が出てきているのかもしれないと思った。  滝川は、資料をバラバラとテーブルの上に広げた。  その中に、ビキニ姿で微笑む神重ルナの写真に目を留める。 「おー。でっけーオッパイだな」  定光は、眉間に皺を寄せた。  宣材写真の中の神重は、さっきの細身のアイドルとは真逆のタイプだ。 「さっきと全然違うタイプの子じゃないか。お前、女なら誰でもいいのか?」 「そういう訳じゃねぇよ」  滝川は、神重ルナの資料を手に取りながら、そう呟く。 「あっちが勝手に近づいてくるだけ」  気のない声で、滝川はそう言う。  それは事実だと知っているだけに、定光は何とも言えない気持ちになった。 「とにかく、そういう付き合い方してると今に痛い目に合うぞ。 ── まったく、お前に好きなタイプっていうのはないのか……」  呆れて定光がそう呟くと、滝川が資料越し、ジッと定光の方を見てきた。 「……なんだよ」 「 ── 別に」  滝川は飽きたように、女性タレントの資料をテーブルの上に放り投げた。 「本気でしたくなかったら、断ってもいい」  定光がそう言うと、滝川は口の端を器用に引き上げ、笑った。 「俺が断ると、ミツが怒られるんだろうが」 「そんなの、気にするタマじゃないだろう?」  滝川は目を真ん丸に見開きながら、コミカルに両肩を竦める。  そして、テーブル上に置かれてあったデモ機を手に取った。 「その新発売のヤツって、これ?」 「ああ。動くから、音を聴いてみてくれ。取り敢えず、俺のスマホからいくつかmp3入れといたから」  滝川がイヤホンをつけつつ、再生ボタンを押す。 「ふーん。思ったよりレンジの広い音出すね」 「ああ。スマホ対応のスピーカーとかイヤホンから出てくる音よりずっといい。コンポスピーカーから出てくるような奥行きがある音が出てくる。売れるかどうかは別として、いい製品だと思う」  滝川は定光の言ったことが耳に入っているかどうかわからないが、真面目な顔付きで企画書と絵コンテを再度眺めた。  そしてふと顔を起こすと、何を思ったか、再びジッと定光の顔を見つめた。 「?」  明らかに滝川が何かを思いついたことまではわかったが、一体何を思いついたのかまでは掴めない。  定光が怪訝そうに首を傾けると、滝川はイヤホンを外して、「この仕事、受けるわ」とあっさりそう言った。  あまりに簡単に滝川が承諾したので、定光は些か拍子抜けした。 「マジで言ってるのか?」 「ああ」 「途中でやっぱりやめたは無しだぜ」 「わかってるよ」 「ホントか?」 「ホントだって。しつこいなぁ。とにかく、なんでもいいから早くご飯作って」 「は?」  定光はぽかんと口を開けて、滝川を見る。  滝川は自分の身体に両腕を回すと、ソファーの上にゴロリと横になった。 「お腹へったぁー」  まるで子どものような声を上げる。  定光は、ハァとため息をつく。  一先ず重要な目標は達成したのだからと定光は自分で自分を説得して、ソファーから立ち上がった。  リビングから見渡せる位置にあるダイニングキッチンに向かい、シルバーの硬質なデザインの冷蔵庫を開ける。 「お前んちの冷蔵庫、酒と氷しか入ってないじゃん!」 「あれ? そうだっけ?」 「これで何を作れっていうんだよ」  定光は腕時計を見た。  時間はもうそろそろサラリーマンの退社時間だ。開店時間の早い居酒屋なら、もう開いているかもしれない。 「どこか外に食いに行こう」  定光がそう言っても、滝川はうんと頷かなかった。  どういう訳か滝川は、定光と二人で飲み屋には行きたがらない。  どうせ深酒を定光に注意されるのが嫌なのだろう。  会社の連中と皆で飲みに行くのは好きなのに、滝川の不思議な習性のひとつだ。 「まったく、手のかかるヤツだなぁ」  定光はそう呟きながらリビングまで取って返すと、「お前の財布よこせ」と滝川に手を差し出した。  滝川が寝転んだまま、口を尖らせる。 「なんだよ、弁当でも買ってくるつもりか?」 「違う。料理の材料を買いに行くんだ。お前の晩飯の材料代をお前が出すのは当然だろ?」 「あ、なんだ。そういうこと」  滝川は今度もあっさりと了承すると、ヨッという掛け声とともにソファーから起き出して、一旦寝室に姿を消す。  そしてすぐに帰ってくると、シルバーパイソンの革財布を自分のジーンズの腰ポケットに突っ込み、定光には黒地に白の3本線が入ったアディダス定番のジャージの上着を投げつけてくる。 「???」  頭の上にハテナマークを浮かべる定光の腰を叩いて、滝川は言った。 「さっさとそれを着ろよ。近くのスーパー行くぞ」  定光はいろんなことを一気にツッコミたくなったが、さすがにどれからツッコんでいいかまごまごしているうちに腕を引かれ、滝川と共に部屋を出ることになってしまったのだった。  ダイニングテーブルで最高に機嫌のいい表情を浮かべながらカレーを食べている滝川を少し離れた場所から横目で見つつ、定光は自分のスマホから笠山に連絡を入れた。  滝川が例の仕事を引き受けると承諾したことを伝えると、笠山が大層喜んで盛り上がっている様子が伝わってきた。  その笠山に定光は、滝川の晩飯に付き合っていてすぐに会社に帰れないことも伝えると、「今日はもうこっちに帰ってくるな」と早口でまくしたてられ、ガチャリと電話を切られた。 「…………。 ── どいつもこいつも……」  定光は両目をギュと瞑って、イーッと歯を噛み合わせる。そこに畳み掛けらられるように、「ミツ、早くこっち来てカレー食えよ。美味いぞ」と滝川に声を掛けられ、そのカレー作ったの俺なんだけど、と内心一人愚痴を零した。  定光が観念してパックご飯をチンしてそれにカレーをかけると、珍しく滝川が定光のグラスに軽めの赤ワインを注いだ。  笠山には「もう帰ってくるな」と言われたことだし、別にもう何にも義理立てしなくてもいいか、と自暴自棄な気分になった定光は、グイッと一気にワインを煽った。  滝川がスプーンを口に咥えたまま、まるで叱られたビーグル犬のような面持ちで定光を見る。 「あれ? ミツさん、ご機嫌ナナメかしらん?」 「ナナメじゃないですよ。ただ単にいろんなことがあり過ぎて、心が挫けそうなだけですよ。さっきはどこぞのバカから、裸エプロンしてみろってセクハラ言われるし、会社の上司からは"今日はもう会社に帰ってくるな"と言われるし、俺の努力だけが空回りしてる感じ」  滝川は視線を宙に泳がせながら、うんうんと小さく頷きつつ、「心中お察しします」と呟いた。  そのこぢんまりとした滝川の姿が妙に可愛いく見え、定光は空になったグラスを前に突き出した。 「ほれ。もっと注げよ、後輩」 「はい、すみません」  滝川が素直にワインを注ぐ。  そしてボトルのほとんどを定光一人で空けてしまう頃には、顔を真っ赤にした定光の目は、しょぼしょぼとしていた。  元来、あまり酒は強くない。そこら辺は、アルコール分解酵素が不足気味の日本人の血を引いてしまった。  おまけに連日のストレスフルな仕事からくる疲れが、酔いに拍車をかけた。 「ミツ……吐きそうになったら言えよ」  定光の前に水の入ったグラスを置きながら滝川がそう声をかけてきたが、定光は水には口をつけず、緩く首を横に振った。 「水、いらない?」  滝川が定光の向かいに腰掛けてテーブルに両肘をつき、前屈みになって定光の顔を覗き込んでくる。  定光は再びゆっくりとした動作で、首を横に振った。 「吐きそうにはないってこと?」  滝川にそう訊かれ、定光はウンと頷く。  そして頷いた動作のまま、テーブルの上に突っ伏していったので、滝川が「おいおい」と声を上げつつ、水の入ったグラスとカレー皿を手で避けた。  定光は、そのまま目を瞑ってしまう。  滝川は大きく息を吸い込むと、鼻の下を手で数回擦った。 「これぐらいで酔い潰れるなんて、コイツ、よっぽど疲れてんな」  滝川は自分のことを棚に上げてそう呟くと、汚れた皿をシンクに運んでザッと洗った後、寝室に向かった。  昨夜の情事の痕跡を跡形もなくキレイに片付けると、シーツまで新しいものに取り替えて、ダイニングキッチンに戻った。  先ほどとまったく同じ体勢のまま寝ている定光からアディダスの上着を脱がせて、スタッズつきのゴツいベルトも引き抜くと、定光を横抱きに抱き上げた。  定光は、休みの日にはスポーツクライミングやジムにも熱心に通って身体を鍛えているから、女性と違ってさすがに腕にずっしりとくる。 「やっぱ、ヤローはおめーな」  そう零しながら、定光を寝室に運ぶ。  ベッドの上に定光を横たえ、掛け布団を引き上げると、定光がウーンと唸って、薄く目を開けた。 「……今晩……」  モゴモゴと定光が何かを言ったが、最初しか聞き取れず、「今晩? なんだって?」と滝川が耳を定光の口元に近付けると、定光が再度「今晩、女、来る……?」と幼い声で訊いてきた。  滝川は苦笑いすると、「お前がいるのに、呼ぶわけねぇだろ」と答えた。  そして滝川が顔を上げると、定光は既に夢の中だった。  滝川は、マジマジと定光の寝顔を眺める。  三十分くらいそうしていた後、ふいに滝川は身体を起こし、定光の額にかかっていた前髪を指で避けた後、そこにキスをひとつ落として、静かに寝室を出て行った。
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