act.04

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act.04

 ── 痴漢と新、どっちが気持ち悪いと考えるべきか……。  そんなことをおぼろげに考えながら定光が事務室に姿を現わすと、珍しく定光より早く出社していた笠山が、定光を手招きした。 「来て早々悪いけど、急ぎの仕事は他の者に任せて、打ち合わせの時間を開けてくれ」  定光は「はい」と返事をしながら、笠山の背中を見送った。  笠山があんな風に言ってくるということは、滝川に頼みたいデカい仕事が来たということだ。  定光は午前中にどうしても連絡を取らないといけない案件だけ急ぎ村上に指示を出すと、同じ三階フロアにある笠山のオフィスに出向いた。  定光がノックをすると、笠山は待ってましたとばかりにドアを開けた。 「まぁ、座って。おい、清水さん、コーヒー淹れてきて」  アシスタントの女の子にそう言いながら、笠山は定光のために椅子を引いた。  その接待度合いを見て、定光はピンとくる。  今回の仕事は、滝川ご指名のデカい仕事だが、おそらく滝川が断ると予想される案件らしい。  実際、その読みは当たっていた。  それは、老舗のオーディオメーカーTVG社が久々に出す携帯音楽プレイヤーのCMで、スマホに市場が押される中、オーディオメーカーとして復活の社運がかかった大事な案件だった。  そこまでは決して悪くない仕事の内容だったが、最大のネックは、CMの企画内容が既に決まっていて、絵コンテまでできている点だった。  そこまでできているのなら、何も滝川に頼まなくとも済むような仕事だ。  どうやら詳しく事情を訊くと、その商品のイメージキャラクターである女性タレント……神重ルナたっての希望らしい。  いろんな意味で滝川に興味を持つ芸能人は、大抵こうして仕事を利用して近づいてくる。それに今回のスポンサーも、滝川の"ヤツが撮れば売れる"のジンクスで験を担ごうという思惑も乗っかったのだろう。  確かに、滝川が嫌がりそうな仕事だ。定光でさえ、その話を聞いて、いい気分にはならなかった。 「いやぁ、高校の同窓生があっちの常務に出世しててさ。断れなかったんだよ」  笠山が、デスクの上に両手をついて頭を下げる。  定光は、手渡された企画書と絵コンテを再度眺めると、「コンセプトはともかく、この絵コンテは変更なしなんですか?」と訊ねた。  笠山が渋い顔つきをして、顔を顰める。 「あっちの広報部の連中が頭を突き合わせて考えたらしいんだよ、それ」  絵コンテを見ると、女性タレントがイヤホン越しに音楽を聴いているアップから入って、画面が引いていくとイヤホンの先が本物のピアノにくっついていて、有名ピアニストがピアノを弾いている・・・というようなものだ。  今回の目玉が高性能のイヤホンということもあって、"本物の音"が聞こえてくるということを表現したいらしい。  確かにわかりやすくはあるが、お世辞にもセンスがいいとは思えないし、有名なタレントやテレビの露出が多いピアニストを引っ張り出してくるのが、製品の良さを伝えることに繋がるのかと考えると、今ひとつピンとこない。  滝川の仕事は、確かになんてことはないことも非常に美しく、ドラマチックに撮るので、どんな題材でもそれなりには見えるだろうが、果たしてこの仕事は滝川にとってプラスとなるだろうか、と疑問に思った。── まぁ、少なくとも、会社にとってはプラスとなりうる仕事には違いないが。 「これ、速水さんが撮るんじゃダメですか? 速水さんの方が、この企画でもスマートに撮れると思いますよ」  定光は再度、そう返してみた。  速水は根が素直な男で、こういうストレートな表現は比較的嫌味なく爽やかに撮ることができる。 「定光もそう思うか? 俺もそう言ったんだがなぁ……。先方のタレントが滝川が撮らなきゃ出ないの一点張りだそうだ」  定光はため息をつきながら、髪の生え際をカリカリと掻いた。 「 ── はっきり言って、説得する自信、ありませんよ」 「そう言うだろうと思った」  笠山が天を仰ぐ。  定光は大きく息を吐き出し、こう言った。 「まずは肝心の製品を届けてもらうように、先方に伝えてください。製品がよければ、アイツも興味を示すかもしれませんから。あと、その新をご指名してきているタレントの資料についても。水着の写真があると効果的かもしれません。製品や企画がダメでも、新に"獲物"として興味を持たれれば、撮る気になるかもしれない。タレント事務所はキズものにされて悲鳴をあげるでしょうが」  どうせそういう展開を、神重ルナも狙っているはずだ。   ── 新と火遊びをして身を滅ぼすのは、そいつの勝手。  定光は、彼にしてみては珍しく、冷徹にそう思った。  定光はそこまで思って、自分が滝川に興味本位で近付く女性たちに嫌悪感を抱いていることに気が付いた。  滝川は消費するように女を取っ替え引っ替えしているが、ある意味滝川もまた、女達から消費されているのだ。  そんな関係が、本当は繊細な心の持ち主である滝川の生活を支えられるとは思えない。   ── 新には、もっとヤツを理解して心を砕くことのできる優しい女性が必要なんだ。見てくれやスタイルとか関係なしに。  笠山が明るい声で先方の常務に新製品のデモ機を持ってくるように電話をしている姿を眺めながら、定光は今回の一連の仕事をとても歯痒く思った。  その日の午後になっても、滝川は会社に姿を現わす気配はなかった。  先日納品となった動画データは、本来なら明日第一稿目が先方に渡される予定だったが、結果的には二日も早く、しかも一発OKだった訳だから、予定が浮いた状態になっていて、滝川が会社に出て来ずとも影響はない状況だった。  定光は、あの後届けられた例の製品のデモ機を持って、滝川の自宅を訪れた。  滝川の家は、世田谷区の閑静な住宅が立ち並ぶ一画の十階建てマンションにあった。ここら辺は単身の芸能人も数多く住み、滝川が女遊びをするにはもってこいの土地柄だ。  滝川はディレクター陣の中では一番の若手だったが、パトリック社でディレクター職は完全出来高報酬なので、一番滝川が稼いでいる。  若いくせにその態度はおろか、持っていく金も大きいとなれば、他のディレクターや一般スタッフから妬まれることもあるのだろうが、不思議とそういう連中はこの五年の間に会社からいなくなった。今残っているスタッフは、ディレクターやプロデューサー陣も含めて、滝川の比類ない才能にひれ伏してる連中ばかりなので、そもそも比較対象としていない節がある。それに、滝川がまるで命を削るようにして仕事をしていることもすべて理解している人々だ。今の会社の中で、滝川を悪く言う人間はいない。  定光は、自分の家よりずっと豪華なマンションのエントランスで、滝川の部屋番号811のインターフォンを押した。  じきに、返事はないがごそごそと何かが動く物音が聞こえてくる。  定光は構わず、一方的に「おい、仕事の話がある。開けろ」と声をかけた。  直ぐにガチャリとインターフォンが切れる音がして、エントランスの自動ドアが開いた。  定光は、ついでにエントランスにあったポストから溢れ出るDMやチラシを引っ掴み、8階に上がった。  定光がドアのチャイムを押す前に、先にドアが開けられる。  滝川が、もうお昼だというのにパンツ一丁の姿で出てきた。 「いくら春先だっていっても、風邪ひくぞ、バカ」  定光は自分のジャケットを脱いで、滝川の肩にかけた。 「入れよ」  滝川はそう言って、中に入っていく。  その後ろ姿を追いかけながら、定光は内心、また痩せかけてきてるな、と顔を曇らせた。  滝川はベストの体重より痩せてくると、筋肉の筋が無骨にはっきりと浮かび上がってくる体質だ。  それを美しいと感じる人間もいるだろうが、定光からすると大層不健康そうに見える。  広いリビングのソファーにパンツ姿のまま滝川は腰掛けると、早速タバコを咥えて火をつけた。 「俺んち来るなんて、珍しいじゃん」  眠たげな目をタバコを挟んだ指で擦りながら、滝川がそう言ってくる。  定光は向かいの席に腰掛けて、「大事な仕事が入ってきたんだ。どうせ今日出社する気なかったんだろ?」と返す。  滝川は少年臭い笑顔を浮かべ、タバコで定光を指して、「正解!」と楽しそうな声を上げた。  傍若無人な滝川が、それでも社内で嫌われることもなく、むしろ人気を集めるのは、時折見せる人懐っこい表情やどんな動きも様になる仕草が影響している。それに滝川は、声を荒げてない時は意外にソフトでハスキーな耳触りのいい声で喋るから、それに参る女性も多い。  滝川は躁鬱の気があるが、躁の時の滝川は最高に皆を楽しませるし、甘え上手だ。それに加えきっぷも良く、とても魅力的な笑顔を浮かべる。  要するに、"とんでもなくチャーミングなダメ男"という訳だ。 「今朝、笠山さんから頼まれた仕事なんだが……」  定光がカバンから資料を取り出していると、寝室のドアがガチャリと開いて、寝ぼけまなこの女性がのっそりと姿を現した。  定光は、いきなり下着姿の女性と出くわして、ギョッとする。しかもボサボサの髪の毛から覗く顔を見て、更にギョッとした。  恋愛禁止と名高いアイドルグループの中の一人で、割と売れている娘だ。  思わず背筋が凍って、定光はゴクリと唾を飲み込む。  だが滝川は、それを別の意味に取ったらしい。  少しムッとした顔付きをすると、後ろを振り返り、「おい、さっさと帰れ」と声をかけた。 「えー、ひどいー」  鼻にかかった声で、滝川の隣に下着姿のまま座り込んでくる。テレビやラジオでよく聞く声そのままだった。   ── やっぱ、本物か……。  定光はマンション周辺の様子をザッと思い返した。  定光の記憶では、カメラマンらしき人物はいなかったようだが。  定光が心の中で、このまま何もなかったこととして、帰ってほしい……!と懇願しながらアイドル娘を見つめていると、その娘が定光に気が付いた。  最初は怪訝そうに定光を見たが、定光の全身を舐めるように見ると、途端にテレビで見慣れた営業スマイルを浮かべ、胸の谷間を見せつけるように身を屈めて、「おはようございまーす」と挨拶をした。 「あ……、どうも……」  定光は苦笑いしながら、一応そう答える。 「えー、この人すっごいハンサム! 新さんの同僚って、外人さんなんですねぇー。カッコイイー!」  定光がネイティヴの日本語発音で話をしていたのを聞いていたはずなのに、あっさりと外人呼ばわりされてしまう。  定光が少し目線を下げたのを見て、滝川がクッションでアイドル娘の頭を殴った。 「あ!いったーい!」 「うるせぇ! お前とは終わりだ。早く出てけ。二度と来るな」  滝川は寝室から彼女の服や荷物を一切合切ひっつかんでくると、それもろともアイドル娘を玄関から放り出そうとした。下着姿のままで。 「新! いくらなんでもそれはマズイ!」  定光は滝川の手からアイドル娘と荷物を奪い取ると、二人の間に身体を入れて、アイドル娘を庇うようにした。  滝川が一瞬カッときて定光の背中を殴ろうとしたが、定光がそのまま殴られるのを覚悟して目を瞑ると、なぜかその手をふいに引っ込めて、興味をなくしたようにリビングへと消えていく。  定光はホッと胸を撫で下ろし、アイドル娘を見下ろした。  本来なら、彼女とて滝川からあんな扱いをされたら、かなり気分を害しているのかと思いきや、定光のような美しい男に守られる形になって、満更でもなさそうな表情を浮かべていた。  定光は努めてその視線に気付かぬフリをして、さっさと女の子に服を着せる。  アイドル娘は定光に服を着せられている間も、「お名前なんて言うんですかぁ? おいくつなんですかぁ?」と呑気に訊いてくる。定光はその質問に一切答えず服を着せ終えると、その手にバッグを持たせて、玄関を開けた。 「一人で帰れるよね?」 「えー、帰れなーい。お兄さんが送って?」  ── 小首を傾げるのがお得意のポーズなのか。  定光はにっこりと朗らかな微笑みを浮かべると、 「あなた事務所から恋愛、禁止されてるでしょ? 事務所の人、呼ぼっか」  定光が腰のポケットからスマホを取り出すような仕草を見せると、娘はピッと背筋を伸ばして、「お先に失礼しまーす」と消えて行った。  定光はドアに凭れながらガックリと脱力すると、ゆっくりと玄関ドアを閉めた。  あの様子なら、本当に双方が火遊び程度で付き合っていただけらしく、ウエットな騒ぎには発展しそうにない。  定光がリビングに帰ると、滝川は濃紺のTシャツに洗いざらしのジーンズを履いて、なぜか定光が貸した黒のジャケットに再度腕を通しているところだった。 「おい、服着たんなら返せよ、それ」 「お前が帰る時に返す」 「なんだよ、それ……」  定光はため息をついたが、ここでごねて滝川の機嫌を損ねると仕事の話もできなくなるので、グッと我慢をしてソファーに座った。  滝川はあんな一幕があった割にもう冷静になっていて、定光が持ってきた仕事の資料に目を通したのだった。
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