2.愛子さんとの出会い

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2.愛子さんとの出会い

2.  ナイフを首に刺して自殺したはずの私は、暖かくて、心地よいところに浮かんでいた。  お母さんの子宮に浮かんでいる赤ちゃんはこんな感覚なんだろうかと、私は想像した。  目を開けると、私はベッドに寝かされていた。  ふと自分の体を見ると、ピンク色のゆったりした院内着に着せ替えられていた。そして、胸も膨らんでいた。それは女性の乳房そのものであった。私はすっかりふくらんだ自分のそれを無意識のうちに揉んでいた。  すると、不意にカーテンが開いて、女の子が顔をのぞかせた。女子高校生くらいだろうか。見たことがない顔だった。その女の子は、胸をつかんで固まっている私にむかって、笑いかけた。 「あ、よかった、やっと、起きたんだ」  その女の子は私と目があうと、たちあがって、スカートをひらひらさせながら側までやってきた。 「おはよう、人殺しさん。私は愛子といいます。よろしく」  私と目が会うと、愛子は、やあ、とあいさつするように、右の手の平を顔の横に上げた。 「わ、私は殺してなんか…」 いない、と言いたかったが、声が小さくなる。あの状況では、記憶がない私ですら、殺したのはわたしなのだと思わざるを得ない。 「でも、そんなことは、どうだっていいの」 と愛子は言って、それから、ベッドに横になっていた私に手を差し出して、 「ちょっと、こっちにいらっしゃい」 とうながした。私は言われるままに、ベッドからおりて、スリッパをはき、病室にある洗面台の鏡の前に立って、自分を見た。  見ると、そこには、ピンクの院内着姿をして、胸元が大きく膨らみ、肩まで黒髪を伸ばしている、女性の姿がそこにあった。鏡の中にいる彼女は中学生か高校生くらいに見えた。  見下ろすと、自分の足元が、膨らんだ胸に遮られてよく見えなくなっている。  体に起こった変化はそれだけではなかった。体全体が透き通るように白く、やわらかい丸みを帯びていた。  手の指先はすらりと細くのびて、爪は女性らしく小さくなっていた。  私は、思わず愛子を見た。状況を説明してほしかったのだと思う。 「うふふ、あなたが自殺して捨てようとした体を、拾った私がどうしようと自由でしょ」 と楽しそうに笑った。 「あとで説明するから、そんなにじっと見つめられると、同性でもてれちゃうよ」 愛子は顔を赤らめて、私から目を背けた。  ひんやりして、私は思わずくしゃみをした。そのくしゃみも、女性のような高い声になっていた。  胸の膨らみを意識して、恥ずかしくなり、おもわず両手で押さえてしまう。  それを見た愛子は、 「せっかくお望みどおり、かわいい女子にしてあげたのに、もっとそのでかい胸をはって、堂々としたら?」 と楽しそうに笑った。 「あなたはこの病院に、1年間入っていたの。体全体を作り変えるためにね。だって、もとのあなたは殺人の罪で警察に追われているんだから」 と、私の手をとり、ソファーへと促した。あれはやっぱり夢ではなかったようだ。そして愛子と私はソファーに並んで越しかけた。  目の前におかれた小さなテーブルには、コーヒーカップが2つ置いてある。愛子はそれを手に取ると、自分で飲み始めた。  起きたばかりでしばらくの間はぼんやりしていたが、次第に意識がはっきりしてくるにつれて、私は現状を正しく把握したいと思うようになった。  私はコーヒーを飲みながら、機嫌よさそうにハミングしている愛子の方を向いて、 「まず、いろんなことを説明してください。ここはどこなのか、どうして私を…、こんな女の子に変えたのか」 自分の口から出た、その小鳥のさえずりのような、きれいなで甘えたような声は、どこからか別の場所から聞こえて来るようだった。  愛子はハミングをやめると、 「そうだね。まず、女の子になってもらったのは、その方があたしの目的を実現するために、いろいろ都合がいいから。今は、女の子の方が、有利なんだ。「東京適性試験」」    東京、私の時代の東京には、入場および定住に制限がある。それが「東京適性試験」である。  温暖化による世界的な食料生産の減少や石油資源の枯渇といった要因のせいで、21世紀前半に70億人まで増えすぎた世界人口を養うのは困難になっていた。そして、70億人全員は当然の権利として先進国と同等の豊かさへと突き進んでいったので、世界中で資源や食料が不足し、各地で争いが起こりはじめた。  それで日本では食料の奪い合いで争いが起こるのを避けるため、増えすぎた人口の方を抑制することにしたのだった。そして人口過密であった東京には、これ以上の過密化の防止のために、入場制限が設けられた。  もともと人口が減少傾向にあった日本では、この政策はとてもうまく生き、私の時代においては、人口は1億人から大きく減少して、100万人ほどになっていた。3000万人ほどの東京エリアの人口も、10万人にまで減少した。  そうであれば、もう人口抑制政策及び東京への入場制限を解除してもいいはずである。  だが、東京への入場制限のおかげで、東京は人口が減少した変わりに緑の空間の増えて、快適になり住みやすくなっていた。  さらに、入場制限で東京への居住者を厳しく選別したおかげで、品行方正で礼儀正しく、優しさと愛情に満ちた人々だけが生活するようになっていたので、犯罪はほとんど起こらなくなった。  それで、東京に生活している人たちの強い希望で、規制は引き続き維持されたのであった。  ちなみに東京の人口は10万人ほど、地方には90万人が以前、政令指定都市と呼ばれていた地区に住んでいる。地方に済むということは、東京に住む人が、愛と希望に満ちた生活をするための資源を生み出すために、一生単純労働をして生きていかねばならないということである。  地方に住んでいるひとは、一生東京の人の奴隷ということになる。  東京へ行くためには、東京で生まれるか、あるいは高校卒業までの間に、「東京適性試験」に合格しなければならない。  それまでに合格しなければ、一生単純労働をして暮らすことになる。  ─私が学校で習ったのは、だいたいこのような内容だった、と記憶している。 「いますこし東京の男女構成に偏りが出ているの。男性の方が少し多くなってるの。そのおかげで、東京は女性を欲しがっているから、試験に合格しやすいってわけ。それに、女子の方が面接官の受けもいいからね。なんだかんだいっても、人の評価は見た目につられちゃうんだね」 愛子は楽しそうに笑った。そして、 「なにより、君が女の子になりたがっていたから」 と付け加えた。 「それで、東京へいって、私はどうしたらいいの? 女子高生として楽しい人生を送ったらいいの? まさか、そんなわけないよね」 愛子は警戒するように当たりを見回してから、ぼくの耳元でささやいた。 「東京を破壊して欲しいの」 「どうやって?」 愛子につられて、私も声のトーンを押さえた。 「あなたは「東京適性試験」に合格して東京での生活を始めたら、東京エリアを維持管理している「中枢コンピュータ」を探し出して。そしたらそこで…」 愛子は少しためらうような素振りを見せて、お願いしますというふうに頭を下げると、 「そこで、君の脳の中心の絶対取り除けない領域に埋め込んである、超小型核融合爆弾を炸裂させてください」 「えっ…、そんなのいつの間に…」 埋め込んだのか、と私は言いかけたが、1年も寝ていたというのが事実であれば、容易なことだと思った。 「威力は関東全体、つまり東京全体が更地になるほどだから、安心して」 愛子は私をみつめて、ポンポンと両肩を叩いて励ましてきた。 「自分をいじめた人たちが、東京で愛と希望に囲まれた生活をしているのが、許せないんでしょう。めちゃくちゃに苦しみを与えて殺してしまいたいんでしょう。あなたの望みと、わたしの目的が合致したの。だから、あの時、あなたを選んだんだよ」  愛子の言うことは、ある時点の私の心を的確に言い当てていた。つまり、不意にそのような気持ちがわきあがってくることはある。でも、常日頃からそう思っているわけではない。いやな出来事を映像付きで思い出してしまい、怒りが抑え切れなくなって頭の中が暴走したような時、愛子が言ったようなことの妄想が止まらなくなってしまう。それは、私にとっても辛かった。もっと優しいことだけを思って、毎日生活できたらいいなと思っていた。 「愛子さんの目的は、なんですか?」 「あたしも、あなたと同じ。愛と希望に満ちあふれて、負けた人たちのことも考えず、好き勝手暮らしている東京の人たちがムカツクの。だから一緒に仕返ししよう」 愛子は、私を見つめながら、ソファーに置いてある手をギュッとにぎってきた。愛子の体温が伝わってきた。私はその手をそっと振り払い、 「でも、そんなこと、怖くてできないよ。大量殺人なんて」 「あなたは、自分でも意識してると思うけど、心の中に解放できない莫大な怒りのエネルギーを抱えているの。それを一度に解放すれば、ためらいなんて吹き飛ぶから。それに、一人殺したらもう何人殺しても、一緒だよ」 愛子は説得するように、まだ手をにぎってきた。 「あなたは、あたしの言う通り生活して、「東京適性試験」に合格して、東京の高等学校に編入してくれたらいいの。そしたら、あとはあたしがやるから」 「私の頭の中の爆弾を爆発させるってこと?」 「そうだよ。だからあなたは大量殺人をしても気にすることないの。むしろ被害者だよ。あたしのお人形さん。もっといえば、あやつり人形なんだから」 「自分で東京へ行ってきたら?」 私の質問に愛子は、いやだというように首を振って、 「だって、あたしが死んじゃうでしょ。だから、あなたみたいな人を待ってたの」 と、嬉しそうに答えてくれた。  それから愛子は、私のこれからの生活と取るべき行動について、指示をした。  私は、山奥にある雨根村に住む、高校1年生の女子として、近くの高等学校へ入学すること。そして、まず8月に実施される、東京の高等学校への編入試験に合格して、東京へ潜り込む。この編入試験は、東京適性試験も兼ねていた。つまり合格すれば、東京へ入ることができる、ということである。  編入試験に合格したあとは、そこの高等学校の女子寮に入ることになる。  そのあとは、おって連絡する、ということであった。    私は、試験と聞いて心配になった。 「私は地元のどこの高校にも合格できなかった。そんな私が、東京の高等学校なんで、合格するわけありません」 「それは、あなたが落ち着いて勉強できる環境になかっただけだよ。自信を持って」 「でも、面接試験もあるっていうよ。外見は変わっても、内面までは変わっていない。ひそかに面接者の脳をスキャンして、危険な思想や性格や思考をしていないかどうかを、確認しているという話も聞いたことがある。だとしたら100%無理だ」 「そう、だから、あなたは外見も、そして内面も、別人にならなければならない。でも、それをすると、今のあなたは本当にいなくなってしまうの。だから、もう夕方近いけど、いまから、あなたとしての、最後の1日を楽しんできて」 そして愛子は、またねと手をふって、部屋をでていった。  ベッドの近くにある丸テーブルの上には、細長いガラスの花瓶に一房だけつぼみの付いた、桜の木の枝が活けてあった  窓のカーテンを開くと、そこには、夕暮れ前の橙色に輝く海が見えた。  愛子が出て行ってから、私は改めて、洗面台の鏡に立ち、自分の姿を眺めた。  そこには、ひとりの女の子がこちらを見つめて立っている。顔の輪郭は卵形で薄くて赤い唇に、色は白く、ほおは少し紅らんでいる。目はぱっちりとした二重で、それでいて眉毛は外側にかけてゆったりと下がっていて、柔らかな印象を与えていた。つやつやした黒髪は額の前で切り揃えられて、軽く両肩にかかっていた。  身長は女性の平均身長より少し高くなっていた。  そして大きめな胸と大きくなったお尻が院内着の下で盛り上がっていた。  私は思わずじっと見てしまい、それが自分の体なのだと思うと、興奮するよりもまず恥ずかしくなり、目をそらした。慣れるまで時間がかかるのかな。でも、愛子が言っていたように、内面も別人に、たぶん、この体に見合った女の子に変えられるのであれば、それが当たり前になり気にならなくなるのだろう。  引き戸を開けると、鍵が掛かっておらず、ガラガラと音を立てて、開いた。  廊下では30代くらいの女性の看護師2人が、各病室へ食事を配膳しているところだった。  私は、ここがどこなのか、聞いてみることにした。 「ここは美里浜病院ですよ」 考えてみたらおかしな質問だったが、その看護師はその手の質問には慣れているようで、変な顔一つせず答えてくれる。美里浜、という名前をどこかで聞いたことがあると思ったら、テレビのニュースだった。気が狂った大量殺人犯が以前入院していた、主に精神の疾患を治療する病院の名前だ。  私がここに入院させられているということは、私の頭もいよいよおかしくなったのだろうか。さっきの愛子との一連のことは全部妄想で、私はもともとこの女の子だったのか。でも、生まれてからずっと、私は間違いなく、私だったはすで、こんな女の子ではなかったはず。  しかし、今は落ち着いていた。この病院のこの世ではないような、ふんわりした雰囲気と雨の静かさのおかげだろうか。  階段を降りた1階には、ちいさなサロンがあり、飲み物の自動販売機が置かれていた。院内着のポケットをまさぐってみたが、当然お金はなかった。  窓からは、夕暮れの明かりが差し込んできていて、明かりの着いていない部屋を黄色く照らしていた。  私は窓側にこしかけて、ひじをついた両手で顎を包み込むようにして、夕日で光り輝く海を眺めていた。    しばらくして、そろそろ戻ろうと思ったら、後ろで物音がした。  ぼんやりとしていた私は、なんとなく振り返ると、その女の子と目があった。  みちよ、さん?  その女の子は、私と目が会うと、何事もなかったようにすぐ目を反らした。そして、後ろの自販機からコーヒーのいい臭いが漂ってきた。  コトンと紙コップを置く音がした。女の子は、私から2席ほど離れた、海側の席に座った。  私はどうしても、確認せずにはいられなかった。その女の子が本当にみちよさんなのか。だって、みちよさんは私が殺してしまったかもしれないんだ。それとも助かったのか。それで体は治ったけど、心は治らずに、こんな病院に入院しているのだろうか。  海を見るふりをして、ちらりと横を見た。女の子の横顔があった。  おさげの三つ編みはほどかれて、今は頭の後ろで1本に束ねられていた。  でも、優しそうな瞳、くちもとのちいさなほくろ、なにより全体の雰囲気は、私が殺したかもしれないみちよさんと、そっくりだった。  私は、そっと椅子を引いて立ち上がった。その女の子は、相変わらず海を眺めている。  部屋を出るふりをして、そっとその女の子後ろ姿に近づいた。  両手を後ろに組んで側に立つ。 「いい天気ですね」  夕焼けに心奪われていたのだろう。その女の子は、すこしびっくりして様子で振り返り、私を見上げた。でも、相手が同じ年頃の女の子だとわかると、すぐに笑顔になって、 「そうだね。私、ここで毎日夕日を見るの、好きなんだ」 どうやら、中学校の時の私だとは気が付かなったみたい。でも、これだけ姿形が変われば当たり前か。  それからしばらく静かになって、ふたりで窓を見つめていた。 「私は、4月から雨根村高校への入学が決まってるの、みちよさんは?」 「えっ、なんで、私の名前を知っているんですか?」 心優しそうなその女の子は、さすがに怪訝そうな表情をした。 「あ、えっと、…知り合いにそっくりさんがいて、その人と勘違いしちゃって…」  私はしどろもどろになり、自分でも訳がわからない言い訳をしていた。でも、もしかして本当にこの女の人は、私が殺してしまったみちよさんの他人の空似なだけ、なのかもしれない。  だって、私はあのとき、血まみれで倒れているみちよさんを間違いなく見た。あのみちよさんは、生きているはずはないと思っていた。 「えーっ、そのそっくりさん、私と名前も年齢も姿形もそっくりなんだね。会ってみたいな!」 私の言い訳を信じてくれたのかどうかわからないが、みちよさんは楽しそうにわらってくれた。そして、当然の流れで、みちよさんは聞いてきた。 「あなたは、なんてお名前なの?」 私は戸惑った。頭の中をかき回しても、自分の名前が出てこなかったのだ。愛子にへんなことをされたせいで、頭もおかしくなったのか。もともとおかしかったけど 「私の名前、えーっと、名前は…」 考え込んでいると、みちよさんは、そんな私をきょとんとして、見つめている。愛子からは、私の名前を聞いていない。私の体も人生も、それを拾った愛子のものだ。勝手に決めてしまってよいものだろうか。  ふと、私の病室に、桜の枝が活けてあったのを思い出した。 「さくら、です」 適当に名乗った。どうせこの場限りの名前なのだ。 「さくらさん、か。いい名前だね。よく似合っているよ。だって、桜の花のように、きれいでかわいいんだもん」 みちよさんにかわいい、と言われてすっかり恥ずかしくなってしまう。でも、夕陽で包まれた部屋では、顔が紅潮していることはわからないだろう。  私は、みちよさんの隣に腰掛けようと、腰を下ろしたが、椅子を後ろに倒してしまい、あわてて元に戻して座り直した。大きくなっていたお尻で、椅子を押し倒してしまったのだ。まだこの体の感覚が掴めていないのだろう。あたふたしている自分は、まるで変わっていない。  あわてて椅子を直している私の姿をみて、みちよさんはくすくすわらっていた。それは、軽蔑するという感じではなくて、かわいい子供を見てほほえましくなっている母親の笑顔のようだった。 「さくらさんって、なんだか面白いね。パッと見すごくしっかりしてそうなのに、内面はおっちょこちょいって感じ。あ、いい意味でだよ。なんだか親しみやすい気がしてい」 私は、気になっていることをそれとなく聞いてみることにした。 「みちよさんは、春からどこの高校へ行くの? 東京の高校?」 みちよさんは、懐かしそうな遠くを見るような表情で、夕陽を見つめている。 「わたしは、…どこへも行かないことにしたんだ」 「えっ! でも、せっかく東京の高等学校に合格したのに、もったいないよ」 「すっかり飽きちゃったんだ。これまでの形通りの人生にね」 そうやってコーヒーカップを傾けるみちよさんの顔は、とても大人びて見えた。顔は少女だったけど、表情は人生を知り尽くしたおばさんのようだった。 「あ、でも、さくらさんと一緒に、雨根村高校に行くってのもいいかもね」 一瞬顔をのぞかせたみちよおばさんはパッと消えて、私の前には、みちよさんが冗談めかしてわらっていた。  夕陽がすっかり海に沈んで、水平線の向こうにその名残が残っている。明かりが着いていない部屋は、月明かりがなけれ真っ暗になっていただろう。  私はそろそろ帰ろうと、背もたれに手をかけて立ち上がろうとしたら、みちよさんが不意に手をのばして抱き着いてきた。顔をうずめたみちよさんの熱い吐息が私の胸に触れた。 「さくらさん、なんだかあなたとは初めてあった気がしない。どこかで知っているような気がする…」 みちよは私を見上げて言った。目が潤んでいる。私は、興奮して熱くなった頭で、必死に冷静に考えた。そういえば、みちよさんは男の子の友達はいなかった。中学の卒業アルバムの写真でも、女の子と仲良さそうに手をつないでいる写真ばかりだった。もしかしたら、そういう趣味がある人なのかな。 「なんだか、あなたのこと、好きになっちゃったみたい…」 私は、なんと答えてよいかわからず、だまってみちよさんを見つめていた。 「キスしてくれませんか…」 みちよさんは、ゆっくり目をとして、口をつぐんだ。恥ずかしいのか、まぶたが小刻みに震えていた。  私の胸は苦しいほどドキドキしていた。足の間がうずいてきて、頭の中は過熱して正常に思考できなくなっていた。そして、そっとみちよさんを抱き寄せて、自分の唇をみちよさんのそれに重ねた。  うっすら目を開くと、暗い窓に、だきあってキスしている二人の女の子が私の目に入ってきた。  どのくらい時間が経過したのだろう。どちらともなく、唇を離すと、暗い海に向き合って並んでそっと手をつないていた。 「じゃあね、またいつか会えたらいいね」  みちよさんはそっと手をほどくと、照れたようにわらって、窓辺の紙コップを捨てるのも忘れて部屋を出て行った。パタンとドアが閉まる音がして、私はひとりになった。  暗い窓の向こうから、穏やかな波の音が聞こえていた。月の白い光が海面を照らしてキラキラしていた。そして、すっかり女の子に変わってしまった、私の無表情な青白い顔が、窓に映っていた。  もう部屋の中はすっかり真っ暗になっていた。  私は2階の自室へ戻り、ドアを開けた。部屋はまっくらだった。部屋におかれた丸テーブルの上には、橙色の明かりが揺らいでいる。ろうそく?  パンッ と音がしたと思ったら、部屋の明かりが着いた。私はびっくりして、音の方を振り返ると、ドアの前で、とんがり帽子を被った愛子がクラッカーを手にもって、げらげら笑っていた。 「びっくりした? ねえ、びっくりしたでしょ!」 愛子の問い掛けに答えるまに、私は頭に載っているクラッカーから射出されたごみを手で払い落とした。 「さ、すわって」 愛子が手で促したさきには、窓辺に向き合って配置されたソファーの間のテーブルの上に、ろうろくが1本刺さっているちいさないちごショートケーキが載っていた。  愛子は、ムードをださなくちゃとつぶやき、部屋の明かりを改めて消した。ソファーの側の明かりだけを残して。そして、私の前に座った。  愛子にいわれるままに、私は愛子の前に座った。 「このケーキはなんですか?」 「見てわからないの。お誕生日会よ」 愛子は赤い液体が入ったボトルを傾けて、私の前のグラスにそそいだ。 「誰の、ですか」 「もちろん、あなただよ。新しいあなたが生まれた日だから」 愛子は持っていたグラスをこちらへ差し向けた。乾杯を、ということらしい。 私も釣られるようにしてグラスを持ちあげて、そしてふたりのグラスはカチンと音を立てて触れ合った。 「さ、あなたも飲んで」 愛子にそういわれて、私も一口飲んでみた。味からするとブドウジュースのようだった。 「あなたにプレゼントがあるんだ」 そういって、愛子は足元からリボンの付いた箱を両手で持ち上げると、食べ終わったケーキの皿をどけて、テーブルの上に載せた。愛子にどうぞと手の平でうながされて、私はリボンをほどいた。  ふたを開けてみると、きれいに折り畳まれた高校の制服と胸元にあしらうであろうリボン、そして学生証カードが置いてあった。  制服を取り出して、眺めてみると、目の前の愛子が来ている服とは違っていた。たぶんこれは雨根村高校の制服なのだろう。私は女子生徒用の制服を見て、これをこれから毎日自分が着るのかと思うと、恥ずかしい気持ちになってきた。  ふと箱に残っていた学生証カードを取り上げて名前欄を見ると「さくら」と記載されている。 「私の名前は、さくらなのですか?」 「そうだよ。東京の高校受験に合格して、さくらが咲くように、ね」 窓辺に移された花瓶の、さくらの枝はのつぼみは、もうすぐ咲きそうなほどにふくらんでいた。  みちよさんに、その場しのぎで思いついて伝えた名前と同じだった。偶然かな。 「あ、そうだ。これも渡しておくね」 愛子は制服のポケットから、アクセサリーを取り出した。さくらんぼの形をしたイヤリングだった。  緑の葉にピンクのリボン、そこから2個のさくらんぼがぶら下がっている。  愛子は立ち上がり、私の側に来て屈み込むようにして、 「つけてあげる。きっとよく似合うよ。さくらさん、かわいいから」 と私の髪を手てたくしあげて、両耳にそれをとりつけた。私はおもわず手で触れてみた。 「大事なものだから、外さないでね。あしたからのさくらさんにも、よく言っておいてね」 愛子にそういわれても、どうやって伝えるのか。明日からのさくらは、私の体であって、意識は私ではない。今から強く心に念じておけば、私としての記憶が残るのだろうか。  そもそも意識とは、自分とはなんだろう。  難しいことを考えたせいか、次第にあたまがふんわりして、眠たくなってきた。夕食を食べていなかったが、それよりも、もう眠りたかった。私は壁にハンガーで制服をかけてくれている愛子に向かって、 「なんだかとても眠たいんだ。お誕生会ありがとう。嬉しかったよ。でも、もう寝かせて」 私は愛子の返事を待たずに横になった。愛子は壁の制服を整えると、ベッドの側にやってきて椅子に座った。 「いいの? 今日寝ちゃうと、あなたは終わりだよ」 愛子は心配そうに言うが、ベッドに入った私は心地好い眠気に包まれていた。まだ、20時ちょっと過ぎだと言うのに。  愛子は私の額に手を載せた。ひんやりとして冷たかった。 「雨根村のさくらさん、元気で暮らしてね。いってらっしゃい…」 愛子がそういうと、私は意識が暗闇の中に溶けていくような気持ちになって、眠りについた。 (第2話 おわり)
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