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3.さくらのお仕事
3.
さくらが、雨根村へやってきてから、1か月ほど過ぎた、5月のある日の夕方のことだった。
下駄箱で靴を履いているところで、たまたま、同じクラスの男子、みちおがやってきた。
さくらは、みちよによく似ているみちおのことが気になって話し掛けようと思ったけど、そのことをなかなか聞けずにいた。
でも、きょうはめずらしく、みちおの方から、さくらに話しかけてきた。
「一緒に帰らない?」
と。みちおのことが気になっていたさくらは、うんと軽く返事をして、うなずいた。
校舎の入口まで歩いたところで、さくらは道の先を指差して、
「あたしこっちなんだ」
「そうなんだ。途中まで、一緒だね」
学校から出ると、周囲はまだ土が向きだしの田んぼが広がっている。そしてその先にはとても高い山々に囲まれていた。
さくらが歩きながら、周囲の山を眺めていると、みちおがその山の中でいちばん高いものを指差して、
「あの峠は知ってる?」
「えっ、しらない」
さくらは思わず答える。みちおの処理装置にアクセスして、名前を検索してもよかったけど、それはしなかった。昔ながらの方法、つまり、みちおの男の子らしい少し低い声に耳を澄ませることにした。
「天生峠っていうんだ。あそこは道も険しくて、バスも通ってなくて、峠を越えてもなにもないらしい。だけど、峠を越えると、生まれ変わるという言い伝えがあるんだ」
「へぇ…、こんなにハイテクな時代に、言い伝えかぁ…」
さくらはその峠に目をやった。峠を越えたところに何があるのか、すこし気にはなった。
さくらの時代の人たちは、頭の中にすこし大きな大豆くらいの情報処理装置が入れられる。この装置はさくらの視覚聴覚ばかりではなく、5感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、温度変化)を感じる部位に接続されている。
おかげで、前時代の人たちが、絵や文字の情報が表示された画面を「目で見て」情報を得なければならなかったのに対して、さくらたちは、目でみなくても、情報を「感じる」ことができた。情報を受け取り方はいろいろある。さっきのさくらのように、頭で「感じる」こともできるし、脳の視覚を司る部位に働きかけて、自分の見ている景色に重ねて表示させることもできる。
頭の中や、目に急に情報が飛び込んで来るのになれない人は、擬似的な全世代でスマートホンといわれた板を表示させてそれを操作することで情報を得るようにすることもできる。
もちろん、この擬似的なスマートホンは、脳内の情報処理装置が、仮想的に表示させたものであり、実態はない。しかし、まるで実態をもっているように操作できるので、この脳内情報処理装置になれない人には人気の機能だ。機種変更も無料だし、バッテリーが切れることもない。
この脳内情報処理装置のエネルギーは、使っている人の体温と血液の成分である。だから電池切れということは絶対に起こらない。一度埋め込まれたら半永久的に、つまり使っている人が死ぬまで動作するのだった。
ぎこちない会話をするうちに、温泉街の前に交差点についた。さくらは信号の押しボタンを押してから、みちおを振り返って正面の温泉街を指差した。
「あたしの家、この温泉街を抜けたところなんだ」
温泉街を抜けたところには、生活保護を受けている人のための村営住宅があり、さくらはそこに、お母さんと二人きりで住んでいた。
「温泉旅館に住んでいるの? 行ってみたいな」
「うーん、そういう訳じゃないんだけど…」
さくらが返答に困っていると、信号が青になった。
「あ、じゃあまた明日ね」
さくらはみちおに手を振って駆け出した。みちおは横断歩道の向こうで軽く手をふってわらっていた。
午後5時の温泉街は、大きなスーツケースを持った人たちがちらほら歩いていた。きっと東京から来た旅行者の人だろう。ときどき、外国人らしき若いカップルもいた。
さくらのように未だ「東京適性試験」に合格していない人は、東京の人たちが人生をエンジョイするために、「おもてなし」をしなければらない。それをすることで、生きていくことができた。
さくらも、この温泉街にあるとある旅館で、雑用係として働いている。といっても、学校が終わってからの夕方からだけれど。でも、高校卒業までに試験に合格できなければ、一生旅館の従業員として働いて、人生を終わることになる。この山奥の小さな温泉街で。
それを覚悟するには、さくらはまだ若かったし、まだあと3年間は猶予があるのだ。
納得するには、その猶予が終わってからでいい。
さくらはリュックの肩ひもを握る両手に力を込めて、温泉街を進んで行った。
温泉街の大通りから路地に入って、すこし上ったところに、さくらの勤める旅館があった。
木々の中にあり、旧日本家屋風の大きな2階建ての本館に、露天風呂が付いた小さな離れが3棟ある。
温泉街には、高層マンションのような外見をした、近代的なホテルもあった。さくらは、なるべくお客さんが少なそうな、この小さな旅館を勤め先に選んだのだった。
さくらは、いつものように本館の側面にある、従業員用通用口から入る。入ってすぐの部屋には更衣室とロッカーがある。制服のブレザーとスカートを脱ぐと、さくらは下着姿になった。そして、まだ新しくてごわついている制服とリボンを大切そうにロッカーに閉まってリュックサックをほうり込んだ。それから、旅館の従業員の制服である女性用の作務衣に着替える。上は淡いピンクで、スカートは茶色だった。さくらはロッカーに取り付けてある鏡を見つめた。そして、鏡に向かって笑顔を作った。その横で、耳元のさくらんぼのイヤリングがゆれていた。胸元に縫い付けられた名札は、胸が大きいせいか、斜め上を向いていた。そして、胸元をきゅっと閉じて、仕事場へ向かった。
まだ高校生で、なんの技能も資格もないさくらの仕事は、もっぱら旅館の雑用係であった。
入ってから午後6時あたりまでは受付と客室への案内。それからは食事の配膳。そのあとは、客室のベッドメイキング。それを終えると、もう午後の8時を過ぎていた。
さくらはすこし時間が空いたので、物置みたいになっている空き部屋の一つで、賄いの夕食を食べていた。すると、パタパタと音がして、ふすまが開いて、女将が顔をだした。年齢は情報開示されていないのでわからないが、さくらには30代後半くらいに思える。そして、落ち着いた感じで、和服とそれに合わせた髪型が似合っていた。
その女将は、さくらの側に腰を下ろすと、手に持っていた紙切れを、さくらの衿にそっとはさんで、
「きょうも、お願いね…、それじゃ」
とふすまを閉じて、立ち去った。
さくらは、衿に挟み込まれた紙を取り出して、眺めた。紙切れには、未開封の避妊用品が包まれていた。そして、
”21:30 はなれ 3”
と書かれていた。さくらはそれを衿に戻すと、旅館の温泉へ向かう。これからの”お仕事”に備えて、お風呂に入って、体を清潔にしておくためだった。
さくらは、ところどころ、ぼんやりと明かりのついた、旅館の中庭を、旅館からいちばん離れたところにある離れの一室に向かって、歩いていた。
温暖化が進行した時代とは言っても、東北地方の3月はまだ肌寒い。時おり吹いて来る冷たい風に、さくらは思わず両手で体を包み込む。
ちいさなせせらぎにかかっている橋を渡ると、その離れについた。窓からは、ぼんやりと明かりが漏れている。
いつものことだけど、仕事とはいっても、さくらはドアを開けるまで、緊張してしまう。手がじっとりと汗ばんできて、おもわず持っていた避妊具をにぎりしめた。
ドアの鍵は空いていた。さくらはもういちど手元の腕時計で時間を確認してから、そっと離れに入って行った。
「おまたせしました…」
さくらは、とりわけしおらしい声を出してふすまの向こうのお客さんに呼びかけた。乱暴なことをするお客さんもいたので、そういうのは困ります、という予防線を張る意味もあった。余計に助長しているかもしれないとも思ったが、どうしても、いつも受付で見せているような笑顔と声で、元気いっぱいに、という訳にはいかなかった。
どうぞと声がしたので、さくらは立て膝をついた状態で、そっとふすまを開ける。布団が敷いてあり、まくらがふたつならべて置かれている。その上の行灯の明かりだけが、部屋を照らしていた。
さくらはふすまの前に正座して、後ろ姿の男性に向かって話かけた。
「はじめていいでしょうか?」
今日がこういう仕事の初日というわけではないのに、声が上ずってしまう。
男性は振り向きざま、ゆっくりと頷いた。40代前後のハンサムなおじさんだった。紺色の浴衣を着ている。
さくらも、作務衣から壁にかけてあった、ピンクの浴衣に着替える。下着姿になったとき、そのおじさんの目線を感じて、恥ずかしくなる。でも、これもサービスのひとつなのだと思って、我慢した。
浴衣に着替えたさくらは、壁を向いて立っていた。後ろに男性の目線を感じる。早くこい、と催促されている気分。さくらはだんだん不安が高ぶってきた。こういうときは、いつも願いをこめて、右耳のさくらんぼのイヤリングを指先でそっとくるくるといじる。すると、なぜだか、男性に愛されたい気持ちが強くなってきて、これからの行為に対する不安を押さえ込むことができるのだった。
私は、おじさんが寝ている布団をそっと持ち上げて、自分の体を入れ込んだ。
すぐ前にあるおじさんの目が、私の顔を見つめている。恥ずかしくなっておもわず目をそらした。おじさんは、お酒を飲んでいたのだろう。お酒の香りがした。でも、なんだか、おとうさんを思い出して懐かしい気持ちになった。
それから、布団がこすれる音と共に、おじさんの手がそっと私の体に触れてきた。
やがて手は、私の胸にやってきて、ゆっくりとそれを揉みはじめた。
私の口から、かぼそいあえぎ声が漏れる。まるでどこかのだれかみたい。
私は、自分がおじさんに必要とされているのが、とても嬉しかった。私の顔、体、声、それらがおじさんの気持ちを満たしてあげていることが、まるで自分の居場所を確保したみたいで心地好かったのだった。
(第3話 おわり)
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