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秋が編集に勤しむ傍らで、桜使が退屈そうに椅子をギィギィ鳴らしている。
「サク、うるさい」
「んー」
返ってくるのは生返事だけで、不愉快なギィギィ音はやまない。無言の「構え」の合図。そうわかっていても、秋にはそんな余裕がない。なんとしてでも今日中に編集を終わらせ、明日はたっぷり睡眠を貪るのだと決めている。
そもそも秋が編集に追われているのは桜使のせいだ。本当なら昨夜のうちに終わっていたはずの作業である。
「サクのせいでしょ」
「んぁ? なにが」
「昨日、俺のこと離してくれなかった」
「おま、それ語弊があんだろ。なんで俺だよ」
昨夜、夕食を終えた二人はソファでイチャイチャし、その流れでベッドへともつれこんだ。そこまではいい。まだ九時すぎの話で、ベッドで仲良くしたあとでも、まだ仕事は出来ると秋は踏んでいたのだ。
ところが、久しぶりだったためか、桜使の運動不足故か、肝心な場面で桜使の足がつってしまった。
『ちょ、待っ、待って。足、足つった』
『え。ちょっと我慢してよ』
『はぁ? バカ、おまえ。足の指がぎゅいーんてなってんのに続けらんねぇだろ』
全くムードもなにもあったもんではなく、仕方なく秋は桜使の足をマッサージしてやり、おさまったところで再チャレンジしたのだが、同じ体勢になるとまたつってしまい……。
『じゃあ、体位変える? 正常位だとさ、どうしても足あげてもらわないと無理だから』
『え、やだ』
『なんで。バックのほうが楽でしょ』
『……それだと、顔見えねえじゃん』
『なにそれ。なに急にかわいいこと言ってんの』
というやりとりがあって、頑なに正常位じゃないと嫌だという桜使のせいで、足をマッサージしたり温めたりで、予想以上に時間がかかり、結果、秋は仕事を放棄せざるを得なかったというわけだ。
「足つるってどういう……」
「うっせえな。冷えてたんだよ」
「とにかく。これ片付けないとサクの相手出来ない。わかった?」
暇なら実況撮りなよ、と。秋がまたパソコンに向き直る。
「別に暇じゃねえよ、ばーか」
椅子を揺らすのをやめ、おもむろに机の引き出しを開ける。引き出しの三段目を開けるのを見て、秋は吹き出しそうになるのを必死に堪えた。三段目は桜使の『おやつ』が入っていて、そのラインナップはいつも違う。基本的には手を汚さずに食べられるものがメインだ。
「OLか」
「昼休みに財布抱えて出ていかねぇわ」
秋のツッコミに、その上をいくツッコミを返し、桜使が取り出したのはポッキーの箱だった。通常のものより細い極細が桜使のお気に入りで、曰く歯応えがいいのだそう。
そして椅子が鳴る音がやんだ後は、ポキポキッという小気味のいい音が秋のBGMに変わった。二本から三本をまとめて口に咥え、パソコンをいじりながらポキポキやっている姿は、髪が人参を連想させる色合いだからか、秋の目にはウサギが人参をポキポキ齧っている様子と重なって見える。
「俺にもちょうだい」
秋が言うと、桜使は秋のほうを見ずに「ん」と二本ポッキーを差し出してきた。秋はその手首を掴み、前を向いたままの桜使を覗きこむようにして、口から飛び出しているポッキーに齧りつく。突然のことに見開かれる桜使の目。キーボードがカタタッとおかしな音をたて、あぁこれは怒られるなと思いながら、秋はチョコレートを求めてあと少しの距離を詰めた。
口の中に留まるビスケット。それと混ぜ合わせるように、桜使のくちびるからチョコレートを舐めとる。
そして何事もなかったかのようにパソコンに向き直ってから、秋は気付く。今日は十一月十一日だと。
「……え、わざと?」
「なにが」
「え、だって今日……」
「さあ?」
してやったりと笑う桜使に、秋はかわいいかわいいと呪文のように心で思いながら、猛然と編集作業を再開するのだった。
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