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04. あのこ
「ねえちーちゃん」
「んー?」
「香月さんって、中学の頃どんな人だった?」
尋ねると、へっ、とちーちゃんは不意を打たれたように顔を上げた。
「え、なになに」お弁当を食べていた手を止め、びっくりした表情であこを見る。
「さすがの亜子も、今回は不安になったの? 沖島くんのこと」
「ううん、べつに不安にはなってないけど」
なぜかほっとしたように訊いてくるちーちゃんにそう首を振れば、ちーちゃんはぎゅっと眉を寄せ、おもむろに箸を置いた。
「なんでよ」ちょっと苛立った様子で、こちらに身を乗り出す。
「ちょっとは不安になりなさいよ。言っとくけど、周りから見た感じ、ぜったい亜子はそんな余裕ぶっこいてられる状況じゃないよ。どう見てもあの二人、めっちゃ仲良いし」
真面目な顔で心配してくれるちーちゃんに、「え、そうかなあ」とあこはいつものように曖昧に笑う。
すると、ちーちゃんはより意気込んだ様子で
「絶対そうだって。あたし、最近あの二人が一緒にいるところよく見るもん。しかも香月さんて、サッカー部のマネージャーやってるらしいよ。沖島くんだって香月さんのこと嫌ってるようには見えないし、このままじゃ危ないんじゃないの」
「大丈夫だよ、ゆーくんだし」
あこが笑いながらいつもの言葉を返すと、ちーちゃんはますます眉を寄せた。はあ、とあきれたように大袈裟なため息をつく。
「ほんっと、亜子のその根拠のない自信はどこからくるんだか。わけわかんない」
「ね、それよりちーちゃん、香月さんてどんな人だったの?」
話題を戻すと、ああ、とちーちゃんは思い出したように顔を上げた。それからちょっと考えて
「まあ、だいたい今と同じ感じだったけど。きれいだし目立ってたけど、女子からはちょっと敬遠されてたな。あの人、けっこう口調とかきついし、言いたいことズバズバ言うから。正直、あたしもちょっと苦手だった」
「付き合ってる男の子とかはいたの?」
「どうだろ。多分いなかったんじゃないかな。美人だから人気はあったけど、そういうの全然興味ありませんって感じの人だったし……ていうか亜子、やっぱり気にしてるじゃん、香月さんのこと」
ぼそりと付け加えられた言葉に、そういうわけじゃないけど、とあこはもう一度首を振ろうとしたけれど
「や、でも、大丈夫なんじゃない?」
ちーちゃんはなんだか気遣わしげな笑みを浮かべて、唐突にそんなことを言った。
「なにが?」となんとなく嫌な予感を覚えつつ聞き返してみれば
「そりゃ香月さんはきれいだけどさ、まあ亜子だってそれなりに可愛いし、それにほら、とりあえず香月さんより愛嬌はあると思うし。勝ち目ないってことはないよ、うん。頑張ったほうがいいとは思うけど」
実に真面目な顔で、ちーちゃんは諭すようにそんな言葉を続けた。あこはちょっと眉を寄せ、卵焼きを口に運ぼうとしていた手を止める。
「だからあこ、べつに不安にはなってないよ。全然」
「いやなってるでしょ、いくら亜子でも」
念を押すように言ってみた言葉も、ちーちゃんはあっさり突っ返して
「ていうか、ちょっとは不安になったほうがいいって。あたし、これでも友達として亜子の恋を応援してるんだから。だから言ってるの。亜子のわけわかんない余裕っぷり見てるとさ、なんかやきもきするんだもん。あんまりのほほんと構えてたら、横からかっさらわれちゃうかもよ」
「それはないよ。ゆーくんだもん」
何度目になるかわからない言葉を繰り返せば、ちーちゃんも、はあ、と何度目になるかわからない大きなため息をついた。それから、やっぱりどこか気遣わしげな表情であこを見て
「べつにさあ、そんな意地になんなくてもいいじゃん」
「意地?」
「亜子って、沖島くんのことでそういう心配するのが悔しいから、無理に大丈夫大丈夫って言い聞かせて、不安にならないようにしてるように見えるけど。だってほんと、その根拠のない自信が何なのか、わけわかんないし」
「根拠ならあるよ、ちゃんと」
そう反論すると、ちーちゃんはちょっとうんざりした表情になって
「“ゆーくんはあこのお願いをいつも聞いてくれるから”でしょ」
うん、とあこは強く相槌を打つ。
「好きじゃなかったら、そんなふうにお願い聞いてくれたりしないはずだもん、絶対」
「それも根拠のない自信じゃん。もしかしたら沖島くん、香月さんのお願いも全部聞いてあげてるかもしれないし」
「え、まさか。それはないよ。大丈夫」
そう言って笑うと、ちーちゃんは思い切り眉をひそめてあこを見つめた。
なにか言いたげな顔をしていたけれど、数秒間迷ったあとで、結局やめたらしい。代わりに、あきれたようなため息をつく。それから食べかけていたお弁当に視線を落とすと
「……ほんと、亜子のそのわけわかんない余裕はいったい何なんだか」
ぼそりと呟いて、中断していた食事を再開した。
あこもまた反論しようかと思ったけれど、結局いくら言い合ったところで平行線な気がして、開きかけた口には卵焼きを放り込んでおいた。
完全に日が落ち、空が真っ暗になった頃、ようやくサッカー部の練習は終わった。
皆が道具を片付け、部室に引き上げていくのを見送ったあとで、あこもベンチから立ち上がる。そして横に置いていた鞄を肩に掛けると、校門へ向かった。
十分ほどそこで待っていると、やがて着替えを終えたサッカー部の皆がちらほら姿を見せ始めた。
すぐにゆーくんもやって来た。遠目にも、その姿だけは不思議なほどはっきりと捉えることができて、あこは校門のところからぶんぶんと手を振る。そうして、「ゆーくん」と名前を呼ぼうとしたときだった。
ふと、彼の隣に茶色い髪の女の子がいるのに気づいた。
途端、今まさに飛び出そうとしていた弾んだ声が、喉の奥で詰まる。
さすがに今度はすぐに思い出した。すらりと高い背に、ふわふわの長い髪。まだ記憶に新しい鋭い視線ときつい語気に、顔の横で振っていた右手も、ふっと動きを止める。
そのまま校門のところに立ちつくしていると、少しして、ゆーくんもこちらに気づいた。「亜子」驚いたように呟く。
「なに、待ってたのか?」
あこの目の前まで歩いてきてから、ゆーくんが尋ねる。
あこはちょっと緊張しながらも、「う、うん」といつものようにへらりと笑い
「ちょっと居残りする用事があったから、せっかくならゆーくんと一緒に帰ろうかと……あ、でもゆーくん、香月さんと帰る約束してたなら、あこはべつに」
「いや」
早口に捲し立てようとしていたあこの言葉をさえぎり、ゆーくんは言った。妙にきっぱりとした声だった。
「いいよ。べつに約束してたわけじゃないから。一緒帰ろう」
隣の香月さんが、ちらっとゆーくんのほうを見た。だけどなにも言わなかった。代わりにあこの顔に視線をずらし、ちょっとだけ眉を寄せてから、おもむろに「じゃあ」と口を開く。
ゆーくんが香月さんのほうを見て、短く相槌を打った。そのあとに小さな声で「悪い」と言ったのも、かすかに聞こえた。それに黙って首を横に振る香月さんを見ながら、ほら、とあこは心の中でちーちゃんへ声を投げる。
「ほんとによかったの?」
二人で歩き出してから、おずおずとゆーくんに尋ねてみれば、間を置くことなく、「いいよ」とさっきと同じ答えが返ってきた。
「わざわざ待ってたんだろ、亜子」
素っ気ないけれど優しいその言葉に、また思う。ほら。何にも不安になることなんてない。ゆーくんはあこを選んでくれる。いつだって。あこは、ちゃんと知ってるもの。
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