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(ちょっとコンビニに行って帰ってきたら玄関で『死にたがりの神様』が激おこでした)
実況動画の編集を終えて、桜使がベッドに入ったのは朝の八時。相棒兼恋人である秋は、その時間にはまだ編集作業をやっていて、八時半頃に小腹を満たすべく近所のコンビニへ行き、約十分後には帰宅したのだが――。
「えっ、と……コンビニ行ってただけなんだけど」
膝を抱えて床に座りこみ、じとっと睨みつけてくる桜使を、秋は玄関のたたきに立ったまま困ったように見た。しまったと思っても、もう遅い。桜使はもう完全に『死にたがりの神様』と化してしまっている。
「とりあえず、俺まだ編集終わってないから」
あがるね? と、靴を脱ぎ作業部屋へと向かう秋を、桜使がのろのろと追いかけてくる。困った、まいったな。そう思う反面で、コンビニ行ってただけなんだけど? と、ついさっき桜使に言った同じ台詞が、秋の頭の中をぐるぐると駆け巡る。
作業部屋に入りパソコンの前に座ると、桜使も自分の机の前へと座り、キャスターつきの椅子をギィと鳴らした。
「おにぎり食べる?」
ちゃんと桜使のぶんも買ってきたし、具材だって桜使が一番好きなツナマヨを選んだ。コンビニに滞在していた時間はわずか五分。行き帰りの時間を合わせれば、秋が留守にした時間は、たったの十分強だ。
「……そういうことじゃなくてさぁ」
約三十分しか寝ていない桜使の声は掠れていて、目には全く生気がない。疲れているからでも、睡眠不足だからでもなく、秋が十分留守にしたことで、桜使の生きるエネルギーが赤い点滅ランプを示しているのだ。
「寝て起きて、秋がいないのやだって、前にも言ったよね」
「知ってるけど寝てすぐだったから、サクが寝てるうちに戻ってこれると思って」
「戻ってこれてねぇじゃん。俺がいつ目覚めるとか、そんなのわかんねぇだろ」
桜使は元々ひどく情緒不安定なところがある。今から約二年ほど前に、些細なことで喧嘩をして、秋が部屋を出て行ったことがトラウマになっているらしく、以来、秋は桜使の断りなしには出掛けることが出来ない。
「……また、俺のこと嫌になったのかなって思うじゃん」
「ごめんて。でも、じゃあ置き手紙でも残しておけば良かった?」
「ばか。秋ばか。置き手紙なんて、もっとゾッとすんじゃん、ばか」
「じゃあ……起こせば良かった?」
「それもすげー迷惑だけど、黙っていかれるより置き手紙よりはマシ」
「うん、わかった。おにぎり、」
「いらね」
秋が、こういう状態の桜使を『死にたがりの神様』と称するのは、生きるエネルギーが限りなくマイナスになってしまうからだ。眠らないし、食事も摂ろうとしない。
「なんか食べないと身体に悪いよ」
そう言って立ち上がった秋に桜使がハッとしたように顔をあげる。
「どこ行くんだよ」
「どこってキッチン。コーヒー淹れに」
「……俺も行く」
こうなってしまっては、今日はもうどこへ行くにもついてまわられるのだろうと、秋はため息をこぼしながら桜使の手を取った。
「編集は、あと一時間くらいで終わるから、そしたら一緒に寝よう?」
大きな子供の手を引いてキッチンに行き、秋は冷蔵庫から牛乳を取り出した。それを小鍋にかけ、砂糖を大さじ一杯。くつくつと泡だつ牛乳のにおいが秋は苦手だったが、桜使はホットミルクが好きなのだ。疲れている時や、就寝前に飲みたがるから、今もこれなら飲んでくれるだろうと、秋はにおいに耐えながら鍋を揺らした。
桜使のマグカップにホットミルクを注ぎ、少し余ったぶんを自分のマグカップに注ぎコーヒーの粉と混ぜ合わせる。
「サク、飲んで」
「……ん」
両手でマグカップを持ち、こくんこくんと喉を鳴らす桜使から、死にたがりの神様が逃げていくのはいつだろうかと、秋は静かにほほえんだ。
(めんどくさいけどかわいいから、もう少しこのままでもいいかなあ)
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