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「レシピじゃなくて、梨沙の声だからね」
思わずツッコんでしまったあたしに、春音はやはり「あはは」と笑って言った。
何もないところから美しいものを取り出すのが魔法だとしたら、彼女の指先は、まさに魔法の杖だった。
自分の声が、こんな綺麗な音に変わるなんて思いもしなかった。出会わないならば一生出会うことなんてない音楽だ。そんな世界へ、彼女はあたしの腕を掴んで、笑い声と一緒に連れて来てくれた。
「春音」
「うん?」
「ありがとうね」
あたしの言葉に、春音はびっくりしたように指先を止めかけたので、あたしは「続けて」とお願いした。彼女は驚きながら戸惑いつつも、まるでその戸惑いを指先に乗せたような、間奏を紡ぐ。
きっと、彼女の世界は常に音楽で溢れているのだ。彼女は音楽でお喋りをする。
「すごくうれしい。うれし過ぎて、泣いてしまいそう」
悲しくもないのに胸が熱くなる。こんな感覚を齎してくれた。
春音はパタパタと瞬きをして、それから声を上げて笑った。指先が弾ける。色とりどりの金平糖をまき散らす様に可愛くて楽し気な音が溢れ出てきた。
溢れたメロディが止まらずに、夜の音楽室を光で満たそうとしている。
「春音…?!」
「あはは、なんだか、楽しくなってきちゃった! ぼくも、とてもうれしいよ!」
うれしい、という感情を彼女はそのまま音楽に乗せてしまう。呆気に取られていたあたしも、踊るように弾き鳴らす春音を見ているうちに楽しくなってきてしまった。
魔法だ。音の洪水に溺れて、そこからが本番。
幾重にも展開される春音の世界を前にカスタネットの一つも叩けないあたしは、椅子の上で音の波に体を揺らすしかないのが、悔しくて笑ってしまった。
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