5人が本棚に入れています
本棚に追加
春音
春音は喋るようにピアノを鳴らした。
放課後、夕陽が差し込む音楽室にいるのはあたしと春音しかいない。けれど、春音が奏でる音があまりに情報過多で、まるで満員の音楽室にいるような気がしている。
よく聞く曲だった。どう聞いてもスウィングしているけれど、たぶん元は厳格なクラシックだったはずだ…たしか、エリーゼのために、ではなかったか。あたしは普段からJ-popばかり聞くような人間だから、クラシック界隈になると全然話が通じなくなってしまうし、正直聞いていると眠くなる。
だが、今、傍らで踊るスウィングは心地よかった。のだが、だんだんと音が重なって洪水のようになっていくピアノに、それはやり過ぎではとツッコミを入れたくなってきている。眠っているどころではない。
「音、音多すぎでしょ」
「あはは」
あたしのツッコミに、春音は可笑しげに笑いこそすれ、音符の数を減らすことはない。気分がいいのだ。片足でペダルを踏みながら、空いているもう一つの足はリズムを刻んでいるのか単に遊んでいるのか分からない。藍色のスカートの裾も気にしない。
彼女の前にはただ黒いグランドピアノしかない。そこに置かれるはずの楽譜があるのを、あたしは見たことが無かった。
最初のコメントを投稿しよう!