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またその日がやってきた。桜森さんがチキン南蛮を注文している。俺はスマホを取り出して、今日の日付をメモ帳に書き留める。今日は水曜日。この前は、一週間前の月曜日、その前は木曜日だったし、特に決まった曜日に食べる、という訳でもないようだ。
「……桜森さんのこと凝視しているところ悪いが、先食べるぞ?」
「訂正しておくけど、見てるのは桜森さんじゃなくてチキン南蛮だ」
「チキン南蛮を食べるのになにか深い理由なんてあるか? お前の考えすぎなんじゃねーの? 特に理由もなくてただただ食べたいからチキン南蛮を食べているとか。というか食事って本来そういうもんじゃねーの?」
確かに梅野の言うことも一理はある。だが、桜森さんの昼食は一つ一つ意味があったのだ。そんな桜森さんが一つだけ、何の理由もなくチキン南蛮を注文するというのはにわかには考えがたい。
「昨日髪切った、とかじゃねーの?」
「髪切った翌日に食べるのは『旬の魚定食』だ。それに髪切ったのなんか月曜日に出社した時に分かるだろ」
「え?桜森さん髪切ったのか? 俺には分からなかったけどなぁ」
梅野は首をかしげているが、かくいう俺もこのルーティンに気付くのは遅かった。なんせ二、三か月に一度しか注文することはなく、周期が不定期だったためだ。旬の魚定食を頼む日、だけでなく前後の日の桜森さんをまじまじと観察することで発見できた思い出深い定食だ。
「じゃあ何かいいことあったとか?」
「いいことあった時は生姜焼き定食だ」
「え?お前それなんでわかるの?流石に本人に聞いたとか?」
「最終的にはな。だけど聞く前から生姜焼き定食を食べる時は鼻歌交じりの時も多かったし、どことなくニコニコしていたから、そうかなとは思っていたけどな」
最初に俺がそのことを桜森さんに聞いた時には「さっき菊池さんに褒められた記念に生姜焼き定食を食べて午後も頑張ります!」と言っていた。たかが俺に褒められたくらいで大げさな。自分では気付かなかったが、俺は桜森さんに対して強く当たってたのかもしれない。生姜焼き定食は俺の中で桜森さんに対する態度を思い返すいいきっかけになった。
「……確認するけどお前、ストーカーっていう訳ではないよな?」
そんなことを言われては心外だ。ただでさえ男性トレーナーと女性トレーニーの組み合わせなのだ。会社からも冗談交じりではあるが手を出さないようにと釘を刺されている。今は些細な言葉でもセクハラと言われてしまう風潮にある。旬の魚定食を食べる理由の確認で聞いた「桜森さん髪切った?」の一言でさえ、そう受け取られてしまうかもしれない。ただ、俺の不安とは裏腹に桜森さんは「今日一で嬉しいです!」と喜んでくれたので事なきを得たのだった。
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