番外編、少年I

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番外編、少年I

僕は、爺ちゃんが大好きだった。 爺ちゃんはいろんな話を聞かせてくれた。特に、爺ちゃんの若い頃の話が多かった。爺ちゃんは戦争時代、飛行機乗りだったらしい。中でも偵察隊という、敵の様子を探る部隊にいたそうで、当時がどんな様子だったか、どんな苦労をしたか、色々教えてくれた。兵隊さんの話、友人の話、町の話、婆ちゃんとどんな風に出会ったのか。それに爺ちゃんは物知りで、他にもたくさん教えてくれた。 両親が共働きで家にいないことが多い僕は、爺ちゃんのところに預けられていた。赤ん坊の頃からそうしてきたからか、僕は爺ちゃんっ子で、教えられたことも爺ちゃんの言葉や話ばかりが浮かぶ。 爺ちゃんは時々、戦争中に死んでしまった婆ちゃんに、ずっと会いたかったっと言っていた。婆ちゃんの忘れ形見…僕の母さんだ…を男手一つで育てて、大変だったらしい。娘が結婚して家を出た時、ホッとしたって。そしたら無性に婆ちゃんに会いたくなって、仕事を辞めて、毎日婆ちゃんのことを思い出して過ごして、家で空ばかり見るようになって。 そうして、しばらくしたら雨が続いた。何日もずっと降り止まなくて、死ぬ時は、もう一度青空を見てからが良いなと、爺ちゃんは考えていたらしい。 “ーーわしの頭上だけ明るくなったと思ったら、虹が出たんだよ。でも雲がなくなったわけでも、雨が止んだわけでもない。本当にそこだけポツッと穴が空いたように光が差しとったんだ。そして鷹が…はじめは飛行機だと思ったんだが、なんと白い鷹だったんじゃ。その真っ白い鷹が、光柱を登っていく。雨は降り続けているからか、虹が出ていたな。そしてその虹をくぐって光の先に行くらしい鷹を見て、わしはなぜか、あの鷹は天国に行くんだと思った。もしそうじゃなくとも、願っとった。もう一度、明子(あきこ)に会わせてくれとなーー” そしたら、爺ちゃんはいつのまにか眩しい光の中にいた。太陽は見えなかったけれど、光が溢れた場所で、雲の上、あの光の中に来たんだと思ったと。 “ーーそして驚いたことに、本当に目の前に明子(あきこ)がいてな。生きてた時のままの姿で、懐かしい着物を着て…残った写真はどれも古くて白黒で、本物の秋子の肌や目や髪の色を、ほとんど忘れてしまっとった。それが、目の前に現れたんじゃ。懐かしい、わしの好きだった明子(あきこ)そのものだった…嬉しくてのぉ、心が若返った心地がして、喜びのままに色々話した気はするんだが…何を話したのかはまったく覚えておらんのだ。最後に、明子の笑った顔が印象に残っての…気がついた時には、また家の窓辺で空を見上げて座っとったんじゃ。わしは、あの鷹が連れて行ってくれたと思っている。あの鷹が、虹と光の向こうにいる明子(あきこ)にーー。” そして爺ちゃんはその時、今まで忘れていた、飛行機乗りだった頃に聞いた話を思い出した。雨の日に現れる白い鷹は、死んだ人の化身で道を示してくれるから、心に留めておけという。 婆ちゃんに会って元気を取り戻した爺ちゃんは、もう少し頑張って生きてみようと思ったらしい。昔聞いた話は本当だったと、とても感動したそうだ。 その数年後に僕が生まれた。爺ちゃんはその時、生きいることを心から喜び感謝したと。そう、笑って幼かった僕の頭を撫でてくれた。僕は爺ちゃんが、本当に大好きだったんだ。 だから事故の時、ただ爺ちゃんに会いたいって、それしか考えられなかったのだと思う。 けど別に、父さんと母さんが嫌いだったわけじゃない。二人が仕事を頑張っていたのはわかっている。 けれど、寂しいのは変わらなかった。父さんと母さんは、多分優しい人たちなんだろうけど、話すときは当たり障りのないことばかりで、楽しく談笑した記憶は、あまりない。何かを教えてもらったことも、ほとんどない。本当に、赤ん坊の頃から爺ちゃんに預けられていて、両親に育ててもらった、という意識が薄いくらい。家族であることに変わりはないけど、どこかよそよそしい関係だったと思う。 学校があるときも、爺ちゃんの家に泊めてもらうことが多かった。正直、そっちの方が気が楽だったし、寂しくもなかった。爺ちゃんとは父さんと母さんに言えないお願い事や、笑い話も楽しくできた。時々叱られたりもしたけど、爺ちゃんはいつも僕と一緒にいてくれた。 そんな日々を送る中、何度か爺ちゃんがどこか困ったような、悲しいような顔をして言っていたのを覚えている。 “ーー信司(しんじ)。お前はよう頑張っとるなーー” そう言って、頭を撫でてくれる。 “ーー父さんと母さんは、今は忙しいが、いつかきっと信司(しんじ)を見てくれる時がくる。寂しいだろうが、もう少し、待ってやってくれんかのーー” 僕は寂しかったけど、爺ちゃんがいたから平気だった。そう伝えれば、爺ちゃんは太陽のように笑って、そうかそうかと、僕の好きな料理を作ってくれた。それを手伝うのが、僕の日課だった。そして食べ終われば、昔話を聞いたり、工作をしたり。夏には一緒に海に行ったり釣りしたり、祭りに行ったり。みかん狩りやクリ拾いや、山登りだって一緒だった。 爺ちゃんは僕が寂しくないようにと、いろんな場所に連れて行って、いろんな体験をさせてくれた。けど、今になって僕は思う。あの時、僕は爺ちゃんがいることで救われていたけど、もしかしたら爺ちゃんも、僕がいることで寂しくなかったんじゃないだろうか。婆ちゃんに会いたくて寂しかった爺ちゃんの心を、僕が満たしてあげられてたら、良いなと思う。 爺ちゃんが死んだ一ヶ月後に事故にあった僕は、ずっとあの交差点にいたけれど、両親がその後どんなに悲しんでいたか知っている。 いつも聞こえていた。父さんと母さんが僕に謝って、ただひたすらに後悔して、毎日泣いている声が。僕の仏壇の前で悲しみに暮れる二人の心の叫びが。 僕は二人に泣いて欲しくなかった。道を示してくれるはずの白い鷹を見たのに死んじゃったのは、僕自身のせいだったんだから。道路に飛び出す必要なんてなかったのに、我慢ができず周りを無視して飛び出したら、危ないに決まっている。死にたかったわけではないけれど、後悔はしていない。 けれど、少し嬉しかった。僕は、ちゃんと父さんと母さんに愛されてたんだなって。 でも、少し困ってしまった。二人に会いに行きたい気持ちはあるけれど、どうやら僕は、爺ちゃんが言っていた光柱を、どうしてもみたいと思ってしまう気持ちが強すぎて、交差点から離れられないのだ。 でも、二人のことはそのうち、あんまり心配にならなくなった。二人は毎日家に帰ってくるようになったから。そしてお仏壇でお祈りして、大事なことやお祝い事があった時には、必ず僕の写真をそばに置いて知らせてくれた。 そうして、二人の心が少しずつ穏やかになった頃、弟が生まれた。弟は想太(そうた)と名付けられた。父さんと母さんはいつも想太(そうた)を想っている、という意味が込められている。良い名前だと想った。交差点からは離れなかったけれど、仏様の力なのか、みんなの様子はいつも伝わってきたし僕もずっと家族を想っている。 そしてそれとは別に、新たな心配事ができた。
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