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僕が彼女の死の真相を知ったのはあれから二年後の事だった。 和歌山での生活も始まってから一年が過ぎ、ようやくゆとりも出来た頃、それは一本の電話が始まりであった。 受話器の向こうで、五十嵐智子が今にも潰されてしまいそうな声で全てを僕に打ち明けたのである。 「私には名前がないの」振り絞るような笑顔とともに出された彼女の言葉が印象的であった為、僕は彼女の戸籍上の名前は結局覚える事が出来なかった。  彼女の身の上話によると、彼女は生まれてまもなく、犬か猫のようにダンボールに入れられ捨てられていたところを保護され、そのまま施設で育ったのである。 その為親の顔も名前も知らず、そして自分の名前も施設で付けられた仮の名前だそうである。 僕たちが勤めていた会社は日本海側で、国内でも有名な食品会社で全国から新卒生が集まるので寮も完備されていたから、そんな彼女も僕達のように親元を離れてやって来た人たちと同様にそして普通に寮で生活していた。  ただ一つ違うことは、親を捨てて来た人と親に捨てられた人と言うことだけであった。 “自分の名前を受け入れることが出来ない”そんな彼女に誰がどのような由来で付けたのかは知らないが“ニコル”と言うニックネームで呼ばれるようになり、彼女自身もその呼び名を気に入っていたらしい。  そういう僕自身は和歌山県出身であったため、みんなに“和歌山君”とか“ワカ”と呼ばれるようになっていた。
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