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「いや、初めて見た顔だ。…交泉から来たっていうが、面白い噂話をしてったよ」
魏領は空いた席に座り、つまみに内臓煮込みと炙り叉焼を注文した。手にした酒杯にはやはり白酒が入っている。
「へえ、どんな?」
「交泉じゃ最近、悪鬼(悪霊)が出るらしい」
「悪鬼なら珍しくないだろ?」
「それがなんと文帝の悪鬼だとさ」
「文帝? 五年前に亡くなった皇帝か?」
通常の人なら悪鬼になったとしてもせいぜい恨みに思う相手の夢に出る程度、さほどの悪さもできないが、生前にどんな地位や能力を持っていたかで悪鬼の力量も変わってくる。
皇帝や力のある道士、巫術師などの魂なら相当の力を持っている。場合によっては相手を呪殺することだって可能なのだ。
「ああ。文帝の悪鬼が街中に呪詛を撒いて疫病が流行って、道士たちが総出で清めて回ったんだと」
「おいおい、そんな馬鹿な話があるか?」
魏領が信じられんと首を振った。
「どうだろう。文帝は暗殺だったと一説には根強い噂があるだろう? それも呪詛で殺されたという話もある」
「そりゃまあそうだが…。でも五年も経って悪鬼になるって…。しかも、なんで交泉に?」
「さあな。交泉は王都から距離があるし、別に皇族ゆかりの土地ってわけでもないだろ? だから誰かが文帝の悪鬼を招んだんじゃないかって噂になってるんだって」
「招魂(しょうこん)したって? 交泉に?」
魏領は首をひねった。
「あ、でも待てよ。交泉は最近、直轄地になっただろう」
「ああ…、そういやそうだな」
塩の生産で有名な交泉は、しばらく前に州公の不正が発覚して罷免され、現在は皇帝の直轄地となっている。
「てことは、皇帝に恨みを持つ蘇一族が招魂したってこともありうるか?」
「蘇一族? 前の州公か?」
「ああ。でないと文帝の悪鬼なんか呼ばないだろ?」
「さてな。単なる噂話だろう」
萩明は肩を竦めただけだ。
おかしなな話もあるもんだ、と二人は笑い、その話はそれで終わった。
夜も更けて、萩明はほろ酔いで食堂を出た。
明日の市を控えて夜遅くまで人が多い。
暗闇の中に妖魔妖獣の泣き声や吠える声が不気味に響く。どの町にも大きな宿屋には益獣をつないでおける特製の厩舎があるが、西護にはそれが特に多いのだ。
市を控えた今夜は多くの妖魔妖獣が町中に留め置かれている。
人に馴らされたものも多いが、まだ荒海で獲ってきたばかりの調教されていないものも数多くいる。誰かがそれを解き放てば街は大混乱になるだろう。 よく考えたら物騒なことだ。
でもそうやって妖獣の取引で何百年も成り立ってきた西護は、不気味な声も市の喧噪のうちと思うのだろうか。
妖鳥のつんざくような鳴き声を背中に聞いて、萩明は路地を歩いた。
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