第1章  春分の西護

9/11
61人が本棚に入れています
本棚に追加
/19ページ
「西護の妖魔市には毒から長寿薬まで何でもあると聞いたんだけど」 「これこれ、そんなことを大きな声で言うもんじゃないよ」  たしなめる調子で売り手の道士が声をひそめる。  娘はちょっと首を傾げて尋ねた。 「それは何か危険な物なの?」 「化蛇が何かも知らずに探してんのかい?」 「魂招(たまよ)ばいに使うって聞いてる」  あっさり口にした言葉に、萩明のほうは興味を持った。  魂招ばい。昨日の酒場で聞いたばかりだ。目の前の妖魔に見入っているふりで、背後の会話に耳をそばだてる。 「お嬢ちゃんはお遣いに来たのか? だったら帰って主人に言いな。魂招ばいなんて儀式は素人がやるもんじゃねえって」  こんな小娘に化蛇が何かも知らずに探させるくらいだから、主人は呪術について素人なのだろうと道士は思い、親切に忠告してやった。 「誰を招ぼうっていうんだい?」 「聞いてない」  娘は何も知らず、ただお遣いで来たらしい。 「招魂(しょうこん)できるほどの道士や巫術師なら持っているはずだ。何なら紹介しようかと帰って主人に言いな。例えあったとしても、お嬢ちゃんには持ち歩けやしねえよ」 「わかった。そうする」  娘は素直にうなずいて引き下がった。  萩明はそっとその場を離れて、物陰から娘を観察した。  さらりと背中までの黒髪を簡単に結っていて、歩く姿はどこか優雅に見える。足運びに隙がない。武術の嗜みがあるのだろう。  こんな妖魔市には不似合いな娘だ。どんな主人が使いに出したか知らないが、祖先の霊を呼ぶ程度なら化蛇など必要ない。  一体誰が誰を招魂したくて化蛇を手に入れたがっているのか…。いや、そんなことは俺には何の関係もない。  不要な好奇心は身を滅ぼす。何を見聞きしても、知らぬふりができる者でなければ護衛は勤まらない。  不思議な娘だったなと雑踏に消えていく後ろ姿を見送った。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!