退屈な日々

3/4
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/53ページ
扇田商事は、家族経営のさほど大きくない商社だ。そのせいか、謎のローカルルールがある。 例えば、ランチタイムはスマートフォンや本を食堂に持ち込まず、部内で交流を図ること。また、社外に出る事は禁止する。 これもその一つだ。但し、営業職や係長級以上の職員は除く。 全くもっておかしなルールだと思う。 入社するまでは知る由もない事だった。知っていたら絶対にこんな会社に就職しなかっただろう。今日も、営業事務の四人と顔をつき合わせて弁当を広げながら、溜息を我慢する時間がやってきた。 お昼の貴重な一時間、読書でもしてリフレッシュしたいと思うのは我儘なのだろうか。食堂にはあちこちから賑やかなおしゃべりが響いている。みんなルールに不満を漏らしつつも、なんだかんだで楽しそうだ。 「ねぇねぇ、ユリちゃん、今日のキミコイ見るでしょ」 鮮やかな混ぜご飯に筑前煮や酢の物、一口ロールカツ、女子力全開の見栄えのいい弁当をつつきながら、葉月が弾んだ声で尋ねる。 「絶対、リアルで見る!リンリンと優くんがどうなるかちょー気になるんだもん」 百合奈がテンションも高く答える。 キミコイが始まるのは夜の九時だ。それまでには今日も絶対帰れまい。そんな事を考えながら、焼いただけの鯖と、ゆでただけの人参、醤油で炒めたピーマンに毎日のように入っているプチトマトとリンゴの弁当をモソモソと食べた。 父のついでで弁当を作ってもらっているだけでも有難いのだが、この味気ない弁当にはいつもながら気力を削がれる。火は通し過ぎだし、味は塩辛いか全くしないのどちらかで、完食するのも苦行だ。 「あんな素敵な恋、してみたいわね」 「またまた~。旦那さんとラブラブなくせに。ねぇ広子」 「えっ?」 「葉月さん家、素敵な家庭で羨ましいって、広子も思うでしょ」 「あぁ、うん。本当に、吉川主任が羨ましいです」 ステキナコイ、何かの呪文のようだ。などと思っていた私は、慌てて百合奈に同調した。 社会人の女性同士のコミュニケーションはとにかく相手を褒めることと、会話を途切させない事が大切だ。 「あら、相田さんまで。やめてよ、そんなんじゃないって。新婚さんのユリちゃんなんてそれこそラブラブでしょ~」 「やだぁ、恥ずかしい。葉月さんには負けますって」 きゃっきゃと二人が女子高生のように笑う向こうで、三十四歳独身の奥野はコンビニのおにぎりを無言で齧っている。なんて気詰まりな空間だろう。 それにしても、今日はキミコイの放送日だったか。思い出した途端、軽い憂鬱を覚えた。 『君に恋してる』――略してキミコイは、人気アイドルグループの桜川凜の初々しさと演技派俳優の吉里優の格好よさ、女性の心を鷲掴みにする甘く切ない胸キュンラブストーリーが売りのドラマで、ちょっとした社会現象にもなっている。 吉里が演じる野球部の若き顧問の淳平と、凛が演じるちょっとドジでまっすぐな女子マネージャーのユナが、様々な障害をきりぬけ、いかに結ばれるかというところだろう。 他にも可愛い女子マネやかっこいい野球部員などが登場し、恋愛模様は複雑に入り乱れ、ユナが最後に誰とくっつくか分からないという体になっているが、間違いなく顧問とくっつくと踏んでいる。 平均視聴率三十五%を超え、職場でもしばしば話題になっているから 一応見るようにしているが、恋愛に傾いたストーリーは正直、退屈だ。誰と誰がくっつくなんて興味もないし、甘いラブシーンに自分を重ねてときめくなんて馬鹿みたいだと思う。 桜川凛の初ソロとなるエンディングも、メロディは綺麗なのに、甘ったるい声とこれでもかというくらい乙女の恋心を書き込んだ歌詞があまり好きになれない。などと批判的な意見を並べつつも、今日の分はしっかり録画してある。 残業が終わって帰宅したら、眠さを堪えつつ見るのだろうと、想像しただけで溜息が出そうだった。 学生の時にもこうやって、グループの話題に入るためだけにドラマを観たりしていたが、社会人になってもそんなことをするハメになるとは夢にも思わなかった。 とはいえ、奥野のように、興味の無い話題については一切関与しないと割り切る度胸もない。 基本的に八方美人なのだと自分でも呆れてしまう。 「それにしても優くんって超イケてるわよね。  子犬系だけど男っぽい所もあって、小鹿系のリンリンとぜったいお似合いよ。はやく、くっついて欲しいわぁ」 「私は吉里優より、あの野球部副主将役のちょっと鋭い感じで強面の俳優の…」 黄色い声で盛り上がる葉月の話題にのろうと口を挟んだものの、いきなり役者の名前を忘れてしまった。 「白田武貴?」百合奈が首を傾げる。 「そうそう、彼と凛がくっつくんじゃないかと思うけどな」 「えぇ~、確かに同じ高校生同士で王道だけどぉ。やっぱり教師との許されない恋ってのがいいんじゃない。ねぇ、葉月さん」 「そうよねぇ。私は断然、優君派だわ」  全てネットのレビューで読んだ受け売りだったが、百合奈と葉月が楽しそうに話を続けていたので、とりあえず安堵する。 すっかり盛り上がっている二人に合わせて、口と表情を動かしながら、早く昼休みが終わればいいのにと思った。 食堂は酷く息苦しい。狭い水槽で口をパクパクさせる金魚みたいな気分だ。 だんだん、夢中でおしゃべりする百合奈たちの顔が、個性の無い真っ赤な金魚に見えてきた。 華やかな尾をひらひらとなびかせる金魚たち。 自分はそこに迷い込んでしまった岩底の蟹なのかもしれない。時々そんな疎外感を覚える。 私は何気なく奥野の方を見た。 彼女は黙々と、尖った顎でおにぎりを噛み続けていた。よく躾けられた子供のように、何度も顎を動かしては、糊状に潰れた米を飲み込んでいく。そこには何の感情も読み取れなかった。 ランチタイムは仕事を円滑に回すための社交場。嫌でも、笑顔の裏で相手の反応を計算しながら、ひたすら会話を繋ぐという胃の痛くなるような芸当を弄さなければならないのに、 彼女はそんな事には少しも頓着しない。時折、葉月と百合奈が彼女を見て軽蔑交じりの含み笑いを交わそうが、全くもってお構いなしだ。 ただ黙々とその場にいる。そんな奥野が羨ましくもあり、哀れでもあった。
/53ページ

最初のコメントを投稿しよう!