コンプレックス

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コンプレックス

土曜日。 待ち合わせ時間になっても来ないルナに、広子は苛々していた。 無連絡での遅刻。社会人ならあるまじき行為だ。 あまりにも遅いのでラインを入れる。 すぐに既読がつき、寝坊したから十五分ほど遅れると、 悪びれもしない返信がきた。 結局、ルナは三十分ほど遅れてやってきた。 「待った?じゃあ行こうか」 小首をかしげて見せたルナは、髪をしっかりアイロンで巻き、 ばっちりメイクしていた。 人を待たせておいて身だしなみは完璧に整えてくる彼女に、 広子は腹立たしいのを通りこして笑ってしまった。 「やっぱ、イケてないなー私服」 おまけに第二声がこれだ。本当に笑うしかない。 とはいえ、ルナの私服は流石にお洒落だった。 ふんわりとしたシルエットの大胆なオフショルダーにタイトな 黒のホットパンツから伸びる白い足が眩しい。 引き換え自分はどうだろう。 地味な色合いのカーディガンにガウチョパンツ。 露出の少ない野暮ったい恰好で、完全に引き立て役だ。 「たしかに、結構、地味かもね」 「結構じゃない、ちょー地味だから」 言われなくても分かっている。 わざわざ口に出すルナにうんざりし、広子は早くも帰りたくなった。 心なしか、すれ違う人がルナと自分を見比べ、 憐みすら篭った目をしているように思える。 本当に最悪の休日だ。 それでも今更引き返すわけにはいかず、電車に揺られること約四十分。 海老名市の大型ショッピングモールに到着した。 改装したばかりの店内は、休日だけあって家族連れやカップルで 賑わっている。若い女の子はみんな、自分よりずっと お洒落で可愛くみえた。 その中でもルナは飛び抜けて可愛かった。 すれ違う人がルナと自分を見比べている気がして、 広子は隠れるようにルナのやや後ろを歩いた。 こんな事なら、思い切ってよそゆきのワンピースを着てこればよかった。 「あっ、あの店良くない?」 俯き加減の広子の腕を引き、 ルナがいかにも若者向けの洋服店に足を向ける。 「いらっしゃいませ」 甲高い声でにこやかに近付いてくるギャル風の店員にぺこぺこと頭を 下げつつ、広子は逃げるように服のカーテンの裏にまわった。 とにかく人気が少ない方へと逸らした視線の先に、大きな鏡を見つける。 磨き込まれた鏡面に、カラフルでお洒落な服や人に囲まれた、 地味で冴えない女の姿が映っていた。 ルナがいなければ、店員に声さえかけられなさそうだ。 「何、辛気臭い顔して」 「私、浮いてるわね」 「そんなこと気にしてるの?別に今から服を買うんだから、  気にしなくてもいいじゃん」 「……そうね」 みえみえの嘘で「そんなことないよ」と言って欲しかったわけではない。 だが、まったくフォローする気のないルナに、広子はがっくりと項垂れた。 「『あいつ、ここで服買う気なの(笑)』って思われてそう」 「はいはい、これなんかどう?なかなか似合うと思うけど」 ぶつぶつ言う広子に、ルナがパステルカラーのチュールスカートを合わせる。ふんわりとしたミニ丈のスカートは、黒髪を真っ直ぐに伸ばした飾り気の ない広子には驚くほど似合っていない。 あまりの不釣り合いさに、泣きたくなった。 「いや、これはちょっとないかな」 「そう?じゃあ、セクシー系は?」 次にルナが持ってきたのは、黒くて胸元が大きく開いた服だった。 こちらもほぼすっぴんの顔に合わせると、オバさんが無理して色っぽい 恰好をしているようにしか見えない。 「これもない、かな」 「えぇ?ヒロはおっぱい大きいしイケると思うけど。  つーかまだ着てもないじゃん。それじゃあ似合うかどうかなんて  わかんないでしょう」 「着なくても分かるって。あなたみたいな美人には似合うでしょうけど」 おっぱいのくだりは聞かなかったことにして、やんわりと断った。 「難しいな~。どんなのならいいわけ」 「どんなのというか、この店ってギャル向けでしょ。  いきなりハードル高いわよ。年齢的にもきついし」  広子は落ち着きなく店内に視線を巡らせた。 店員だけでなく客層もがっつりリメイクをして髪を染めている ような子ばかりだ。あきらかに自分はお呼びではない。 「そう?ヒロは目が大きくて童顔だから、別に違和感ないけど。  まぁ可愛い系だから、あんまり強めのファッションよりは、  甘い感じのテイストの方がいいのかな」 「とにかく、もう少し大人しい服が置いてある店にしない?」 「わかったよ。しょうがないな」 「ごめんって」 めんどくさそうな顔をするルナに平謝りしつつ、 逃げるように店を後にする。 モールにはいくつものショップが並んでいる。 目につくまま、いくつかの店を回ったが収穫は無かった。 何も買えないまま、時間ばかりが過ぎていく。 「ねぇ、あの服なんてどう?」 いい加減疲れた顔のルナが、 歩きながら赤いワンピースをきせたマネキンを指さす。 「ちょっと、微妙かな」 「じゃあ、あの短パンとカットソーは?」 「それも無理かも」 「じゃあ、これ」 「もうちょっと無難な感じの服がいいな」 どんなに断っても、新しい服を次々に提案してくるルナに、 広子は次第にうんざりしてきた。 いくら露出が少なくて大人しい服装がいいと希望を伝えても、 ルナは彼女に似合いそうな派手な服ばかり持ってくる。 到底、似合わない服を勧められ、自分よりもずっと可愛いルナや ショップ店員に、すかすかの「似合う」「可愛い」という言葉を 繰り返されるのは殆ど拷問だった。 「もー、ヒロは何でそんなに自信ないかな」 お手上げとばかりに両手を上げるルナに、 広子は自信なんて持てる筈ないと心の中で呟いた。 「私、小学校の時はショートカットで日焼けしてたから、 よく男の子に間違われたんだよね」 「へぇ、意外。今はこんな乙女っぽい感じなのに」 「髪が長いからそう見えるだけだよ。昔も……ううん、今も全然。  母には『ちびくろサンボみたい』ってよく笑われたのよ」 服を買いに行って店員にスカートを勧められるたび、 「飯田さんのところの杏那ちゃんと違って可愛い恰好が似合わない」 と母に笑われた。 杏那ちゃんはルナみたいに、色白でぱっちりした瞳の美少女だった。 「何それ、ムカつく」 笑うかと思ったら、ルナはムッとした顔をした。 「でも、ホントの事だったし。自分で思い出しても、  色黒でガリガリで、みっともない女の子だったから」 「だからなに?」 ルナが不機嫌そうに片眉を吊り上げる。 「なんていうか、その頃から可愛い服なんて着てなくて、  ズボンばっかり穿いてたから、慣れないんだよね、お洒落な格好とか」 広子は意味もなく小さく笑った。 あの頃は、男の子っぽい服が好みなのだと自分に言い聞かせて、 ボーイッシュな子を演じていた。 どうせ時期が来れば、女の子はみんな女らしくなるのだから、 今は男の子っぽいという個性を大事にしたいとさえ思っていた。 でも、それは間違いだった。 女の子らしくなりたくないのではなく、なれないのだ。 それは二十を過ぎてとっくに成熟し今でも変わらなかった。 「じゃあ、あの店ならどう?ちょっと地味だけど、まぁアリだと思う」 ルナが若干、投げやりな口調で、 先ほどまでよりは随分と大人しい服が並ぶ店を指さす。 この店なら自分にも着られる服があるかもしれない。 適当に服を見繕って、早く帰りたい。 そう思いながら店内を見て回っていると、赤いスカートが目に入った。 透明感のあるグラデーションの生地が印象的だ。 しなやかなひだが重なりあって造られた形は、 金魚の尾のようで可愛らしい。 長さは膝丈と露出もそれほど多くないので、 なんとか着こなせるかもしれない。 広子は頭の中でスカートをはいた自分の姿を想像してみた。 やっぱりダメだ――。 しばらくスカートとにらめっこして色々想像したが、 結論は同じだった。自分に可愛い服は似合わない。 「待ちなよ、あのスカート見てたでしょ。試着したら?可愛いじゃん」 もっと地味な服を探そうと黙ってスカートの前を離れたら、 ルナに腕を掴まれ引き止められた。 「いいよ、似合わないから」 「着てもないのに似合うかどうかなんてわかんないでしょうが」 「分かるって」 「よかったら、試着してくださいね」 言い合っているうちに、営業のチャンスを見逃すまいと、 茶髪の店員が、スカートを手にニコニコ近づいてきた。 「スカートは履いてみるとだいぶ印象もかわりますよ。  お客様は、足が細くて長いので、たっぷりした生地のスカートは  すごく似合うと思います」 「でしょ、私もそう思うんだよね。ほら、ヒロ着てみなよ」 「いや、私、地味だからこういうのは無理だって。  どう考えても似合わないから」 絶対に似合うと無責任に頷きあうルナと店員に、 つい棘のある言葉が口をついた。 しまったと思った時には遅かった。 店員の顔が凍りつき、ルナがピタリと動きを止める。 「なんで似合わないって、決めつけるの?  店員さんも似合うって言ってるじゃん。  ちょっと頑固すぎるんじゃない?あれもだめ、これもだめって。  じゃあ一生そういう地味な格好してるわけ。ダサすぎるんだけど」 あからさまに苛立った口調で一方的にまくしたてるルナに、 広子は広子で、反省などふっとんでしまった。 他人から可愛い、綺麗だと褒められてきた彼女に、 母親にすら地味で女の子らしくないと言われ続けてきた 広子の何が分かるのだろうか。 「わかんない」 「何が?」 「ルナみたいに可愛くて自分に自信のある子には、   私の気持ちなんてわかんない」 「何それ、ムカつく」 ルナは一層、怖い顔になった。 完全に怒らせてしまったようだ。 これで彼女との付き合いも終わる。 広子はそう思った。 だが、ルナは面倒な広子を放りだすことなく、 真っ直ぐに言葉をぶつけてきた。 「私が自信を持ってるのは、可愛く生まれたからじゃない。  努力してるから。雑誌でファッションを勉強して、保湿や  マッサージを欠かさず、おこずかい叩いて化粧品買って、  メイクだって頑張ってる。  ヒロはどう?可愛くなるためになにか努力してるの?」 「それは」 「してないでしょ。お母さんに言われたこと鵜呑みにして、努力する前から  自分には無理だってウジウジして、変わろうともしない。  そんなの怠けてるだけじゃん。そんな人の気持ち分かるわけないよ」 「ルナって、案外、まともなんだ」 広子はポカンとした顔で呟いた。 言い方はムカつくが、彼女の言い分はすとんと落ちてきた。 ただ、ギャルっぽい外見に似合わず、あまりに真っ当な事を 言うものだから、つい本音が出てしまった。 「アンタね、言う事はそれ?もっと『いいこと言うね』とか  『ごめん、私がまちがってた』とかそうゆーのはないわけ」 ルナが拍子抜けしたように、きょとんとした顔をする。 その無防備な表情に、広子は小さく笑った。 「そうだよね、ごめん。確かに、ルナの言う通りかもしれない。  羨ましいなって思うだけで、私、ファッション誌もろくに見たことないや」 「しょうがないなー、ヒロは。もういい年した大人なのに」 ルナが肩を竦めて同じように小さく笑う。 「ちょっと来て。軽くメイクしてあげるから。  あっ、店員さん、そのスカート、後で試着したいので  キープしておいて下さい」 「かしこまりました」 息をひそめて成り行きを見ていた店員が、 何事もなかったような顔で一礼してスカートをカウンターに持っていく。 「いいの?キープなんて。買うかも分からないのに迷惑でしょ」 「いいからいくよ」 強引にトイレに引っ張り込まれ、鏡の前に座らされる。 「目を閉じて、じっとして」 何が始まるのか。きょどきょどしていると叱責された。 「ファンデの塗り足しはいらなそうね。お肌つるつるじゃん。羨ましい」 ルナの呟く声と共に、柔らかな指先が瞼を撫でた。 続いて筆があたり、目の際をペン先で擦られる。 かと思えば、金属のひんやりとした感触がして、睫毛を引っ張られた。 どんな風になっているのだろうか。 気になったがぎゅっと目を瞑って耐えた。 眉毛の辺りに刃物が当たった時には流石に驚いて目を開けてしまったが、 すぐに怒られてもう一度、目を閉じた。 「ハイ終わり、やっぱイケてるじゃん」 ルナに肩を叩かれて目を開ける。 鏡の中に別人の自分が映っていた。 アイラインをひき、マスカラを付けてぱっちりした目。 瞼には涼しげな色のシャドウが施されている。 コンプレックスの垂れ目を活かした、色っぽくて大人びた姿に、 広子は思わず魅入ってしまった。 「メイクっ上手くやればこんなになるのね」 こんなに綺麗な顔立ちをしていただろうか。 角度や表情を変えてみる。 鏡で自分の顔を見るのが楽しいと思ったのは初めてだった。 「何を今更。いつもどんな顔で仕事行ってるわけ」 「悪かったわね。朝からがっつりメイクするヒマなんてないのよ」 「やだ。干物女になっちゃうわよ。ヒロは元は悪くないんだから  もう少しちゃんとしなよ。髪型少し変えるだけでもだいぶ印象  変わるんだから。あとコンタクトにしたらいいのに」 「コンタクトはちょっと。痛そうだし」 「そう?慣れれば楽らしいけどね。まぁ、気が向いたらしてみなよ」 「考えてみる。それより、もう一回ショッピングに付き合ってくれる?」 「もちろん、まずはあのスカートだね。それからトップスも選ぶよ」 あれだけ嫌な態度をとったのだ。 断られても可笑しくなかったが、ルナはあっさりと承諾した。 「うん、よろしくね」 屈託なく笑うルナに、 広子はようやく今日買い物にきて良かったと思った。
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