1 配役

3/9
前へ
/85ページ
次へ
 付け込まれやすい言い方をした私に、白崎さんはここぞとばかりにグイッと身を乗り出してきた。非常に距離が近い。そして尚且つ心臓に悪い。鼓動が爆音レベルだ。こういう時、『心臓の音が周りに聞こえていないか心配になる』とか『身体中で鼓動が鳴り響いててうるさい』といった表現を本で見かけるが、どうやら本当らしい。これは確かに結構うるさい。 「けど?」 「あの、えっと」  自分のコミュニケーション能力の低さを改めて実感した。白崎さんはにこっと笑ったまま、ただじっと見つめているだけだ。恐らく答えるまでずっとこのままだろう。私のありもしない第六感がそう告げていた。 「その、私じゃなくて」 「うん」  そこは待たなくていい。私は黙って白崎さんを見るが、あの笑顔をみせてくる。このままだと埒が明かないような気がしてきた。 「私じゃなくて、他の人の隣でもいいと思い、ますが」  そう言って、私はぱくりとおにぎりを思い切り口に含む。焼き鮭の塩がやたらとしょっぱかった。私なりに一生懸命言葉を探して伝えたのにも関わらず、白崎さんの反応は「ふーん」と味気ないものだった。 「何か困るのか? 俺が隣にいると」 「はっ、はあっ?」  またもや予想だにもしない返事が返ってきた。上ずった私の声を気に留める様子もないようで、またぐぐっと詰めてくる。 「困る? 困らない?」 「えっ、いや、その。ちょっ、ちょっと近くないですか、白崎さん」 「ん?」  私の言葉を受けて、白崎さんは不思議そうにしながらも少しだけ離れる。離れたことで生まれた空間に風が通り過ぎた。ただ席を動く様子はなさそうだ。残念なような嬉しいようなむず痒い気持ちになり、私はもぐっとおにぎりを再び口に入れた。 「別に俺は」  相手がまたなにか言おうとしてきたが、それより先に別の声が私に向かってきた。 「あっ、いたいたっ! 紫ちゃーんっ」  苦手ではない。たぶん、きっと。  ただ、こうなると彼女はかなり面倒なはずだ。もう彼に狙いを定めているに違いない。目が完全に狩人だ。その証拠に、私の名前を呼んでおいてまっすぐ彼の方に駆け寄った。 「あれ、白崎くんも一緒だったんだあ」  にも関わらず、さも驚いたと言わんばかりの口ぶり。いくらなんでもそれは無茶だ。大根役者にもほどがある。目玉が飛び出るとはまさに今の私のことで、思わず二度見してしまった。
/85ページ

最初のコメントを投稿しよう!

39人が本棚に入れています
本棚に追加