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ここ最近で随分知らない世界が見えてきた感じがする。
私は凜の影から顔を半分出して、足元だけを見た。何足ものスニーカーとかブーツが散らばる中、グレーの一際大きなリボンをつけた厚底シューズが目に入る。そんな目立つ靴履いていたんだ。
「つぐみさんも次の授業?」
「資格で必要なの。偉くない?」
「やば、資格とかマジ偉い」
「浅草くんももぐりで受けちゃえばいいのに。ね、白崎くん」
厚底シューズが足踏みしている。『もぐり』は『素潜り』のイントネーションと同じ。単位は取れないが、授業に出ろとの仰せだ。何故か同意を求められた白崎さんの返事がワンテンポ遅れた。
「ん? どうだろ」
「うちと白崎くんで浅草くんをガリ勉にしよ」
「それはちょっと勘弁してー。頼む菖悟。このとおり」
「なんで俺」
白崎さんのスニーカーの両脇は、革靴とグレーのリボンでがっちり固まっている。完全に板挟み状態だ。
「ほらほら、白崎くんからも言ってあげて」
さっきと同じく厚底シューズが足踏みした。今度はグレーのリボンが可愛らしくぴょんぴょん跳ねる。
このままだと今度は白崎さんが私の役柄に加わるんじゃないかと思った。協力役AとかBとか脇役も脇役に。というかふられた側もだけど、ふった側はどんな心境なんだ。私は何も知らない。それでも、いきなりのキャスティング降格はさすがに見て取れる。
そう考えたら、自然と身体が凜の後ろからするりと抜け出した。凜は何も言わなかったけど、ひらひら手を振ってくれた。さほど遠くない距離にも関わらず、人の波を鈍臭く縫って行く。
「紫ちゃん?」
「あ、あの」
つぐみちゃんが私の名前を呼んだタイミングと被った。我ながら本当に間が悪いと思う。
うつむき加減の顔を上げると、自然と白崎さんに視線が移った。彼の瞼には栗毛色の前髪がかかっている。
「大変そう、ですね」
まただ。うまいこと気のいい理由が思いつかないまま話しかけてしまった。途中で気づいて尻すぼみにしたが、言ったものは取り返せない。完全に煽りになった。
当然、白崎さんは目をぱちくりさせた。前髪が微かに震える。彼の両隣の二人も、僅かながら疑問と不安な色が出ているのを目の端で捉えた。恥ずかしすぎる。
「もう月下。他に言い方あるだろ」
白崎さんの口調に控えめの笑いが紛れた。子供を窘める親のような言い方で、もはや帰りたい。
「悪い。ちょっとだけ先生とこ寄ってくる」
白崎さんの指さした方向は、教室と反対方向の研究室エリアだ。あからさまなフォローさせてしまった。自分で声をかけておいて、白崎さんのあとをちょこちょこついて行く。
後ろで浅草さんが「助けて凜ちゃーんっ」と盛大に叫んでいたけど、どうなるんだろうな。
「もう大丈夫そうかな」
白崎さんが後ろを確認しつつ、独り言みたいに聞いてきた。数々の扉からオフィスアワーなのかゼミなのか先生と学生の声が混ざって聞こえる。私は精一杯首を縦に振った。
「すみませんすみません」
頷いた勢いでぺこぺこ頭を下げると、白崎さんは今度こそ面白そうに笑う。
「なんで謝るの」
「あう、いや、別に」
「あらま」
別にっておかしいでしょ。いつも同じようなことをしている自分に頭を抱えたくなった。あらま、とか言った白崎さんは全然残念そうじゃない。
「……せっかく話してたとこに邪魔したと思って。声の掛け方も間違えちゃったし」
「なあんで。そんなことない」
ここで白崎さんは周りに誰もいないかもう一度確認して、
「実際ちょっと大変だったからな」
といたずらっ子みたいに声を潜めた。
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