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さみしくないように
濃淡を描く皿に、電球に照らされた俺の顔が映っている。
いつの間にかクマのようなシワが目元に表われ、生き生きとしていた目も隠しきれない疲れを見せるようになった。味わいがあるというより、ただ老けただけの顔。
多くのことを望んだけれど、いろんなことを諦めた。それでも一生のうちにいつか異国の空を見てみたい。
この世界には、ちっぽけな俺を包み込んでくれる存在がどこかにあるはずだ。
「空にきれいな色の布がはためく感じなんだろうな。眺めたらもう死んでもいいって思うんだろうなあ、きっと」
「死んじゃあ、だめですよう」
彼女に勢いよく肩を叩かれた。俺はおかしなことをいっていないはずだ。それなのに、彼女は笑っている。彼女は烏龍茶を飲み干すと音を立ててグラスを置いた。
「死んでもいいほどうれしいことなんて、一個もないですよ。どんなことも最高の出来事なんです。私なんて、いつでもいまが最高ですよ」
「へえ、例えば何?」
「朝に食べたハムチーズトーストでしょお。その次にきた最高がお昼の焼き魚定食でしょお……」
思わず吹き出した。おいしそうに食べる子だなと思っていたけれど、随分と食欲旺盛だな。
「なんだよ、それ。食うことばかりだな」
「へへ、ありがとうございます」
とろんとした目つきで見つめられた。
潤んでいる黒目がきれいで見惚れていると、彼女は突然にやにやした。
「だから、いまの最高は桐島さんと飲んでることです」
全く、かわいい顔してかわいいこというなあ。俺が十年若ければ、適当に言いくるめてどこかに連れ込んで好き放題にするぞ。
「でも……」
笑みを浮かべたまま、彼女はうつむいた。
「桐島さんと飲んだ次の日の朝ご飯って、ちょっとさみしいなあ。楽しんだゆうべのことを思い出してひとりで食べることになるから……」
「そっか。それならさ」
彼女のほうを向いて、手を取る。
彼女の手は思いの外ちいさかった。関節が目立たないなめらかで華奢な手。
久しぶりに味わった感触に、胸が高鳴った。
「ずっと、俺といっしょにご飯を食べようか。明日も明後日も。そんで来年はオーロラを見る。きみといっしょなら俺は死なないよ。きみもさみしくない。どうだ、いいだろ?」
「はい、賛成です!」
彼女は顔を上げると、俺の手の上に自らの手を重ねた。
うれしそうな顔しちゃって。酔っているから翌朝には何も覚えていないだろう。
ああ、やっぱり俺は臆病だ。
愛の告白なんて、ほんとうは素面の子にいうものなのにな。
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