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モモが外出して1週間ほど経ったある日、ショッキングなニュースが舞い込んできた。原発の運営元である電力会社の旧経営者O氏が、突然死したと言うのだ。O氏は自宅の寝室で仰向けの状態で亡くなっており、争った形跡や目立った外傷などがなかったことから、警察は事件性はなく病死であると断定した。しかし、その死因があまりにも不可解であるとして、ワイドショーでは大きな話題となった。O氏の死因は、重度の被ばくだったのだ。
O氏は今までに一度も事故現場を訪れたことが無く、家族や関係者も皆、口を揃えて「被ばくなんてしているはずはない。」と答えた。世間では、O氏が死亡したのは「原発の呪い」によるものだと噂され、被災者に誠心誠意対応しなければさらに呪いは続く、といったデマまで広まった。電力会社が原発事故に遭ったすべての被災者に、予定を大幅に前倒しして損害賠償金を支払うことを発表したのは、それからすぐのことだ。また同時に、見通しが立っていなかった除染作業について、5年後を目途に完了する事業計画案も示された。
あれから、モモが帰って来ないまま、5年の月日が経過した。原発周辺はすっかり様変わりして、今では、通り沿いに旅館や飲食店などの建造物が少しずつ建ち始めている。僕が勤めていた簡易研究所も、除染作業が終了するとその役目を終えて、公園を造るための解体作業が始まった。もう、モモが帰って来る場所は存在しなくなり、僕が再びモモに会う機会も失われてしまったように思われた。
テレビを点けると、10数年ぶりに故郷に帰ることが出来た被災者のインタビュー映像が流れていた。長く辛い避難所生活からようやく解放された被災者は、皆一様に、安堵と喜びの表情を浮かべていた。それを見た時に、僕は、モモがあの日話していた「私のやるべきこと」を、彼女はしっかりとやり遂げたのではないだろうかと感じていた。モモは、一日も早くこの日を迎えるため、あの日あの場所に現れ、そして僕と出会い、「原発の呪い」を起こして…。そこまで考えて、僕はまさかと首を横に振った。それはいくら何でも、都合の良すぎる解釈というものだ。
インタビュー映像の一番最後に、どこかモモと面影が似ている女性が映し出された。女性はマイクを向けられると、自分が飼っている柴犬のことについて訥々と語り出した。10数年前、飼い犬を我が家に残したまま避難したことをずっと後悔していること。新たに避難所で飼い始めた柴犬のことは、最期まで面倒を見ると心に決めたこと。あの子の分まで幸せにしたい、そんな願いを込めて、柴犬には生き別れた先代の犬と同じ名前を付けたこと。「こっちにおいで、モモ。」女性が柴犬に話しかけると、モモは一声、嬉しそうにワンと鳴いた。
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