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大津波による原発事故から早7年が経過しようとしている。周辺地域は未だに放射性物質の強い影響下にあり、除染が完了するのは一体いつになるのか、まだその見通しすら立っていない。
その日、僕は調査チームの一員として、原発から半径10km圏内の立ち入り禁止地区に侵入し、動植物の生態系について調べていた。この地域に生きているものなど、もはや存在していないと思っていたので、河川敷に動く物陰を見た時は、思わず自分の目を疑った。すぐさま物陰に近付いてみたが、そこで目にしたのは、およそ信じがたいものだった。そこには若い女性が1人、防護服も着ていない状態で佇んでいたのだ。
僕は急いで最寄りの簡易研究室へ戻ると、彼女の聞き取り調査を行った。しかし彼女は、自分が一体何者で、何故あの場所に居たのか、あそこで何をしていたのか、一切覚えていないと言う。彼女が覚えていたのは、自分の名前が「モモ」であること、自分はどこからか「流されて来た」こと、この2つだけだった。もしかすると、7年前の大津波の被害者ではないかとも考えたが、彼女が7年もの間、あの場所で生存していたとは到底考えにくい。
次に、健康診断を行った。彼女が発見された場所は最も放射性物質の多い地域で、身体への悪影響が懸念されたからだ。当然のごとく、彼女の体内には深刻な内部被ばくが確認された。これだけの被ばくともなれば、普通はがんや遺伝性の障害が発生していてもおかしくないレベルだが、驚くべきことに、彼女は皮膚はおろか呼吸器や消化器、血液に至るまで異常は認められず、健康体そのものであるという検査結果が示された。僕は彼女をしばらく研究室で預かり、心理面の治療に取り組むことにした。
と言うのも、記憶障害は精神的なストレスが原因となって発生することが多い。まずは心理カウンセリングによってそのストレスを和らげよう、と考えたのだ。そこで分かったことは、モモは原発事故に対して強い恐怖心や嫌悪感を抱いている、ということだった。モモは、原発事故の被害に遭った人々への補償問題や、電力会社の旧経営者に対する裁判の結果を知ると、激しい憤りを隠すことなく、僕に向かってこう言った。
「先生、私分かったわ。今、私の中の何かが、私にはやるべきことがあると告げているの。お願い、外出させてちょうだい。」
モモが何をしようとしているのか、僕にはさっぱり分からなかったが、どうやら彼女の記憶が戻ろうとしているのかも知れない。本来、被ばくによっていつ体調が急変してもおかしくない彼女を1人で外出させるなど、到底許すわけにはいかなかったが、僕はくれぐれも無理をしないこと、そして具合が悪くなったらすぐに知らせることなどを条件に、特別にモモに外出許可を与えることにした。
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