逃避行

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 ああ、心臓がうるさい。  一歩地面を蹴るたびに、喉奥も足の関節も胸も、体の全部が痛かった。それでもがむしゃらに走る。  道行く他人から投げかけられる怪訝な視線も、たぶん今日失うことになっただろう生き甲斐だったモノも、職も、金も、賛辞も名声もモラルも常識も何もかもどうでもいい。  ぶつかったサラリーマンにだって、謝るもんか。  だってこんなに体が軽い。  僕は今日多分世間で言う「大人として最低な人間」になったんだろうけど、そんなのどうだっていい。  気持ちよくって仕方がない。  なんなら叫びたいくらいだ。 「うわーーーー!!」  はは、叫んじまった。馬鹿みたいだ。でもどうしよう、こんなにも自由になった僕は空も飛べそうだ。  しかし僕は悲しいことにどこまでも人間だった。普段ほとんど使っていない筋肉が悲鳴をあげ、息が苦しくなっていく。  ゆるゆるとゼンマイ式に動かなくなった体がボスンと尻をついたのは大きな河川敷の階段だった。  夜風が気持ちいい。  身体中痛いのに気持ちいい。  愛を囁き合うカップルすら、今日は愛おしく思える。  僕は今日初めて、「仕事(生きる意味)」から逃げた。
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