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「なんで君はついてきたんだ」
真横に座る元恋人に話しかけた。彼女は僕の夢であり希望であり、現実であり絶望だ。
もちろん返事はない。
いつもそう。どんなに対話を求めても君が返事をするのは気が向いた時だけ。それも大切なことを、きゅっと閉じ込めた宝石のように零すだけ。
何故ついてきたかって? 馬鹿、連れてきたのはアンタでしょう、なんて思ってるだろうな。僕は何も言わずただ流れ続ける川を眺めた。
トントントン
小気味いい、階段を降りる音が背後から聞こえる。次に視界に飛び込んできたのはセーラー服。そして背中に背負った黒いケース。
そのフォルムから彼女が何を背負っているのかすぐに分かってしまった。でも今はそれを口に出したくない。
なるべく視界に入れたくないのに、彼女は僕の目先3mのところに腰を下ろし、パチパチとケースを開き始めた。
最近の子どもはなんだ、22時にうろつくのが普通なのか? あと、そんな堂々と胡座かいてたらパンツ丸見えですよ。
なんて、頭の中で声をかけてみる。
当然振り返らない。現実はこんなもんさ。
そんなことを考えていたら、彼女は既にケースから中身を取り出していた。茶色くテカテカしていて、見るからに安物。学校の備品なんだろう。そこには大きく高校名が書かれていた。
彼女はチューニングも適当に、茶色いそれに指を滑らせた。思わず目と耳を塞ぐ。それでも皮膚を通して感じてしまうCコード。僕の始まりもそうだった。
今や絶望の音だ。
ああでもない、こうでもないとかき鳴らされる弦の擦れる音。その雑で下手くそでどうしようもなく実直な音は容赦なく僕の心臓を傷つける。
あんなに気持ちよかった逃避行。ただの女子高生に幕を下ろされてしまった。
消えたい。
そんな事を心の底から思ったその時だった。
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