せんぱいと飲み会

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せんぱいと飲み会

片づけなければならない仕事は山ほどあるのに手を付けても進める気にならない。 用事もなくトイレに行き、個室に篭って通知のないスマホをただ眺める。 現実逃避している間にも増えていく仕事は、動かない先頭タスクに押し込められて渋滞状態だった。 プロジェクトのTODOリストのウィンドウを閉じ、タスクバーの時計がまだ終業時刻の1時間前であることにため息一つついたところで、同じ部署の後輩の小寺さんが最大限の媚の売り方だろう首を傾げ上目遣いで話しかけてきた。 「せんぱい、今日って空いてます?」 返答しようのないアバウトな質問に、未読メールを下から開封する作業に没頭しながら「なんで?」と質問で返す。 小寺さんは「あー」と、さっきよりワントーン低い声で、予め用意していただろうセリフ染みた説明を始めた。 「総務の人たちに飲み会誘われたんですけど、結構年齢層高い人たちだから一人だと気まずくて、一応うちの部署からも誰か一緒に連れてきてもいいよって言われてたから田中さんを誘ってたんですけど、急に都合が悪くなって参加できなくなっちゃって、わたしも都合悪くなったって断ろうとしたんですけど、二人キャンセルになると個室が使えなくなるから一人は参加してほしいって言われちゃって、せんぱい、総務の山田さんって仲良いですよね? あの人が幹事なんですけど、もし今日空いていたらわたしの代わりに総務の飲み会に参加してもらえないかなって思って」 他にも色々な説明を受けたけれど、半分以上耳に入らず、適当に「あー、うん、いいよ」と返すと、小寺さんはまたワントーン高い方の声で「助かります! 後で案内メール転送しますね」と説明にかけた十分の1以下の労力で礼を告げると早々に自席に戻っていった。 因みに「せんぱい」は彼女が僕のことを指すときに使う代名詞だ。彼女が新卒研修を終えてこの部署に配属されてすぐの頃、僕がOJTを受け持った時からそう呼ばれている。 彼女が学生時代に年上の男性に対し「せんぱい」と呼ぶと色々と都合が良くなることを経験的に身に着けたのだろう。社会人になり大して効果がないことを悟ったのか、その代名詞は結局、僕にしか使われずに塩漬けになっている。 それからすぐに小寺さんから、彼女に仕事を頼んだ時の100倍速いスピードで総務の飲み会の案内メールが転送されてきたので、未読のままゴミ箱に捨てた。
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