暴食

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 私の部屋の真ん中には、素敵なオーク材のテーブルが置かれているの。その上に置かれているものだって、どれも素敵な品々で、まずは、マグカップ。これは天然木、確かウォルナットで作られている無垢のマグカップ。大学に入ったばかりの頃にお付き合いしていた方から頂いたもので、今でも大切に使っているのです。  次に、素敵なキルトのコースター。これは私が初めてのアルバイト代で旅行したエチオピアの工房で、私自ら作らせて頂いた宝物。現地のお婆さんに優しく指導されながら作ったもので、不器用なくせに美意識がやたら高い私が、生まれて初めて満足出来た手作りのもの。  他にも、白磁のティーポット、ガラスの万年筆、羊皮紙のリングノート、ハムレットの初版本、アンティークのペン立て、その他ごたごたのっているけれど、どれも私気に入りの品。けれど、けれどね、一つだけ、どうしても気に入らないものがのっているの。それはね、チョコレートを挟んだビスケット。一枚だけ、ペーパーの上にそっとのっていて、私、それだけは嫌いだわ。  だから私、すぐに立ち上がってそのチョコレートを挟んだビスケット、ペロリと一口で平らげてしまったわ。そうしたらね、それまで素敵なものばかり溢れていた私のお部屋に、どうしても気に入らないものが次から次へと溢れ出したの。おかしな話よね。私にだって分からないわ。  まずは写真立て。これはフレームがアルミで出来たとっても素敵な品だけれど、中に入っている写真がいけないの。中にはね、私と、二つ上の姉さんと、そのさらに二つ上の姉さんの恋人と、三人が映った写真がある。私、姉さんのことは好きなのよ。ちょっと世間知らずで、子供っぽいところがあるけれど、それも姉さんの良いところだから、私きちんと尊重をして、そうした綺麗な性格のせいで招く被害は、汚れた私が請け負いましょうって、幼い頃からずっと気をつけてきて、それは最近まで達成出来ていたの。それなのに、こいつ。こいつのせいで姉さん、随分と俗っぽくなってしまった。私のせいよ。こいつを姉さんに近づかせてしまった。こいつを姉さんから引き剥がせなかった。そのせいで姉さん、日に日に厚かましくなっていって、それは意地悪になった、ということではなく、昔と比べてちょっとスレた、という程度で、私の姉さんに対する家族愛はちっとも削れてはいないのだけれど、気に入らない。この男の顔を見ていると、どうしてもっとうまくやれなかったんだろうって、私、いつも後悔してしまう。  この写真の嫌いなところは他にもあって、それは、何を隠そう、この私。こちらを責めるように睨んでいるのだから嫌な女。好きが三分の一しかない写真だなんて、好きになれるはずもない。  だから私、この写真も、ビスケットと同じく食べてしまうの。こんなものペロリ、よ。そうしたらね、中身のなくなったアルミ製の写真立て。これも嫌いになった。自身に与えられた役割を果たせないなんて、情けないにもほどがある。だからこれも、ペロリ、とはいかないわね。アルミ製だもの。ムシャリ、よ。  それから次にカレンダー。これは二駅隣の雑貨屋さんで買ったもの。毎月一枚ずつめくってゆく形をしていて、どのページにも可愛らしい猫ちゃんが描かれている。私、猫ちゃんは好きよ。アメショもキジトラも三毛も、猫なら何だって好き。けれどね、私、日曜日が嫌いなの。朝起きた時から月曜日のことを考えてしまって、身動き取れなくなる。だから私には土曜日しかお休みがないの。それなのに皆して、私は週二日休んでいるだなんて思っているのだから、やるせないわ。だから私、カレンダーも食べてしまうの。ペロリ、よ。これで私、曜日、というものを考えなくても良くなった。ついでに月、も。これから一年中真夏なのよ。私の大好きな真夏。秋なんて二度と来ないのだわ。素敵なことよね。  カレンダーを食べたら今度はね、時計が気に入らなくなっちゃった。素敵な時計なのよ。鳩時計なの。ちゃんとしたオルゴール職人が、中にとっておきの音色を詰めてくれた、本当に素敵な鳩時計。けれど私、これも嫌いよ。時間のせいで私、毎日毎日やりたいことを断念しているの。小説を書いてみたいけれど、もうこんな時間、寝ないと明日起きられないわ。ピアノを弾いてみたいけれど、もうこんな時間、早くお家を出なくっちゃ。こんなものも、ペロリ、よ。これで私もう、時間に縛られなくなった。明日から、いいえ、今から、ずっと小説を書いて過ごすの。居眠りしてしまっても平気よ。起きたらピアノを演奏するわ。仕事に行く時間なんて永遠に訪れないのですからね。  ふう。お腹いっぱいになってしまった。随分と食べたのね。この部屋にある嫌いなもの、気に入らないもの、私随分と食したわ。  けれどふっと考えついたの。これってとてもおかしなことだわ。だって、嫌いなものばかり満腹になるまで食べる人なんておかしいもの。悔しいじゃない。嫌いなものでカロリーをとってしまったなんて、私、とっても悔しいわ。だから今度は好きなもの。好きなものを食べましょう。どれどれ、何があるかしら。  と、部屋中物色したけれど、どれもこれも、食べてしまうのが惜しいものばかり。どうしてだろうって、私考えたの。答えはすぐに見つかったわ。少ないからよ。私、好きなものが少ないの。好きなものより、嫌いなものの方が多いのね。嫌いなものより、好きなものの方が少ないのね。だから尻込みしちゃう。好きなものを一つ食べたら、この世界から、私の好きなものが一つなくなる。  でもこれって不思議なことよ。食べるってことは、そのものを自分の中に取り込むということ。それって素敵なことじゃない。好きなものと一つになって、私自身が好きになる。そう考えると、今まで食べてきた嫌いなもの全部、吐き出してしまいたい気にもなるけれど、どうも、指を喉に突っ込む気にはなれないの。どうしてかしらね。この答えもすぐに見つかったわ。私、頭が良いですもの。それはきっと、自分に自身がないから、よね。好きなものを取り込んだって、自分という嫌いなものと溶け合ってしまえば、どちらが勝つのか知っているのね。悲しいことよ。何とかしないと。さしあたっては、嫌いなものを食べないこと。これ以上自分の中に嫌いを取り入れたくないですもの。  けれど、そうしてみたところで、好きが増えるかといえばそうじゃない。そんなら私、このまま餓死してゆくのかしら。切ないわね。切ないことよ。  そして私、思いついたの。すっくと立ち上がって冷蔵庫に向かったわ。その中からね、卵、豚肉、サバの味噌煮、鮭の切り身、ピーマン、トマト、牛乳、バター、パン粉、梅干し、お漬物、その他色々、あるだけ全部取り出したの。好きなものもあれば、嫌いなものもある。それらを全部鍋に入れたわ。素敵な鍋よ。そして、火をつけた。火は、嫌い。その鍋に水を入れたの。水は好きも嫌いもないわ。それから引き出しを開けて、醤油、みりん、食用酒、タバスコ、だしの素、空っぽになるまで投入したわ。好きなものもあれば、嫌いなものもある。それから木べらでかき混ぜた。姉さんにもらった大切な木べら。それから鍋に蓋を落としたの。その間に私、お財布を取りに部屋へ戻ったわ。新しい好きを作るため、嫌いな外へ繰り出すの。とっても素敵なことでしょう?
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