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いのちの音
美悠の連絡先はもはや持っていなかったが、大学時代の共通の友人をたどって、再び美悠に連絡をとろうとした。自分からもう会わないと思っていたことが激しく悔やまれる。あの時の俺は、ひどい男だった。最低の人間だった。
連絡先を手に入れるのは、そう難しいことではなかった。電話番号は分からなかったが、チャットアプリから、美悠のスマートフォンに電話をかける。懐かしいアイコン。二人で行った夕日を浴びる宮島の大鳥居。付き合っていた時と同じ写真だった。赤々と染まる鳥居を二人寄り添って眺めていた。そのことを思い出しただけで、幸一は胸が締め付けられそうになった。
-出てくれ、美悠。
軽快な呼び出し音を鳴らし続けるが、全く出てくれない。それでも諦めず、何度も何度もかけ続けた。懺悔を乞う気持ちでかけた。出てくれ、出てくれと祈りを捧げながら、電話を耳元に当てていた。かつての罪を償うため、お腹の子のために美悠が必要だった。美悠が出てくれるまで、決して電話を置くつもりは無かった。
「もしもし?幸一?」
懐かしい美悠の声がする。少し甘え気味の子どもっぽい声。
「・・・美悠、久しぶりだな。」
「・・・・・」
気まずい沈黙が流れる。電話が繋がったはいいものの、いざ美悠の声を聞くと何をどこから切り出せばいいのか、幸一は分からなくなった。
「あ、あの・・・ごめん。」
やっと出た言葉は、自分でも鈍重だと感じる情けないトーンだった。すまない、何度謝っても許されないことをした。これから、少しでもその償いができれば。
「・・・・幸一。私、堕ろしちゃった。」
震える声で美悠が話し出す。
「幸一が戻ってきてくれるか分からなかったの。私、一人じゃ育てられないと思ったから。両親たちにもすごく反対されて・・・・。」
「幸一がいなくなって・・・・いや、赤ちゃんがいなくなってすごく寂しかった。一人でも、お金が無くても、やっぱり産んであげたかったなって思うの。」
幸一は、ほぼ反射的に答えていた。
「美悠、俺が産んでやる。」
「・・・は?」
「俺も授かったんだ。多分お前とちょうど同じ時期に。神様がきっと奇跡を起こしてくれた。俺たちに子どもができるんだよ!」
熱にうなされたように、幸一はまくしたてた。
「・・ごめん、それはひどいよ。幸一。さすがに笑えない。」
「ち、違う。違うんだよ、美悠!本当にいるんだ。今も俺のお腹を蹴ってる!!この子に会って欲しいんだよ、この子の母親になってほしいんだよ!!」
思わず背筋が凍るほど、静かな声で美悠が答えた。
「赤ちゃんをどうやって堕ろすか知ってる?幸一。」
「・・え、い、いや・・・。」
「赤ちゃんができて、数か月ほどになると、薬なんかじゃどうにもならないのよ。そうするとね、外から金属の冷たい器具を挿れるの。滑りを良くするための潤滑剤を塗るんだけど、中に入っていくときはひんやりして、それはそれは怖かったわ。そしてね、赤ちゃんの首のとこをお医者さんが上手く探しあてるの。器具は小さなはさみのようになっていてね、首のところをチョキンって切るのよ。」
幸一は、返す言葉も見当たらなかった。何も言えるはずもなかった。
「お母さんはね、分かるのよ。自分の中で命が消えた瞬間を感じるの。お腹の中でどんどん体温が無くなっていくのが分かる。今まで生きてきた中で、あんなに悲しくて、あんなに悔しかったことはなかったわ。」
「・・・美悠、あの。」
「もう連絡してこないで、幸一。」
自分の携帯を投げ出し、幸一は右手で顔を覆った。時間を戻せたら、どんなにいいだろう。美悠を捨てる前の夜、出会った頃のあの夜に戻れるなら、子ども以外の何を失っても構わないだろう。
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