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家に帰るとカーテンを閉め切り、薄緑の月桂樹がデザインされてある布団を頭まで被った。意識では、睡眠の指令を必死に出していたが、脳裏には先ほどのシングルマザーと美悠の顔が重なって、ますます冴えわたっていった。そして子ども。あの突っ張った腹の中にいる子どもがいつか産声を上げて腹を蹴破ってくる。忘れよう、忘れようと思えば思うほど、容赦なく美悠とその子どもが蔦のように幸一の首をがんじがらめに締め上げていく。息苦しさと苦痛の中、次第に眠りがじわじわと幸一を侵食していく。まだ当分落陽せず、カーテン越しに、夏の午後の濃厚な光線がちかちかと差し込んでくる。そして、引き潮から満ちていく波のように、浅く苦しい眠りが幸一の体に忍び込んでいく。
夢の中で幸一はピンクの靄の中にいた。時間も方向も存在しない空間の中、ただ生きているもの独特のねばっこい温かさを感じながらゆらゆらと漂っているだけだった。宇宙の始まりに漂う星屑のように、夢幻の世界を生きていた。ただそこは、温度と肉のある生の世界だった。捉えどころの無く温かい、ぶよぶよとした胎内で必死に手足を動かしている。母胎から延びる管から必死に酸素と栄養を吸い取り、もうすぐこの肉の壁を破って外の空気を吸おうともがいている夢を見た。
「うう…うう…」
言葉という概念がまだ無く、ただただ呼吸をする折に、時々呻き声のようなものを上げる。この世界では、幸一は苦痛を感じなかった。人生で経験したことのない、安らぎを感じていた。魚類の姿から両生類、爬虫類、人間の胎児になるまで生命の歴史を母胎の中で繰り返している。その空間はどこまでも温かく、完全に守られていた。
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