本音と建前 好きと好意

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     エレベーターにて  人間関係を和やかに保つには建前が必要だ。  例えば、男がエレベーターの中でエレベーターガールとずっと二人きりになったとする。  内心ブスだなあと思っていても、いやあ君、どことなく愛らしいところがあっていいねえなぞと男は心にもないことを言う必要に迫られる。  おまけに大根足を見ても脹脛の盛り上がり方がいいねえとか太い腰を見てもくびれのカーブがいいねえとか団子鼻を見ても鼻がシュッとしてていいねえとかごっつい手を見ても指の感じがいいねえとか濁声を聞いてもちょっとハスキーな感じがいいねえとか沢庵臭い体臭を嗅いでもそこはかとなく芳しい香りが漂っていいねえとか言って褒めなければならない破目になる。  しかし、ここまでよいしょする必要はない。自明のことだが、セクハラで訴えられ兼ねない。あるいはエレベーターガールをその気にさせ、気があるのではと思わせてしまい、いずれにしても自分が困ることになる。  実際、面識のある器量の良くないエレベーターガールの貴子とエレベーターの中で二人きりになった時、義男は一階から3階まで上がる間に彼女を必要以上に煽てた所為で4階に上がった時、彼女に告白されてしまった。 「私、あんまり褒めてくれるからあなたが好きになっちゃった」 「えっ」 「それだけ褒めてくれるところを見ると、あなたも私のことが好きなんでしょ」 「いや、あの、この世には建前と本音というものがあるだろ。だから・・・」 「今まで褒めたことは建前だって言いたいの?」 「まあねえ・・・」 「でも、私に好意があるから誉めてくれるんでしょ」 「んーと、まあ、確かに好意はあるよ。だけど、好きと好意とは別でしょ」 「そんなこと言えた義理、あなた、付け上がってない?」 「えっ」 「あなた、身の程を考えないといけないわよ」 「えっ」 「だって私が今までにあなたに言った労りの言葉も建前で言っただけなんだから」 「えっ」 「例えば、私、お腹のでっぱりなんか全然気にしないって言ったけど、それはあなたが布袋腹だから気遣ってそう言っただけで本音を言えば、シックスパックとまではいかなくても引き締まってる方がいいわ」 「そ、そうなのか・・・」 「それとか、私、背なんか全然気にしないって言ったけど、それはあなたが低身長だから気遣ってそう言っただけで本音を言えば、バレーボーラーとまではいかなくても高身長の方がいいわ」 「そ、そうなのか・・・」 「それとか、私、頭の毛なんか全然気にしないって言ったけど、それはあなたが剥げだから気遣ってそう言っただけで本音を言えば、ライオンの鬣とまではいかなくてもふさふさしてる方がいいわ」 「そ、そうなのか・・・」 「それとか、私、顔なんか全然気にしないって言ったけど、それはあなたがブ男だから気遣ってそう言っただけで本音を言えば、ジャスティンビーバーとまではいかなくてもイケメンの方がいいわ」 「そ、そうなのか・・・」 「それとか、私、経済力なんか全然気にしないって言ったけど、それはあなたが低所得者だから気遣ってそう言っただけで本音を言えば、億万長者とまではいかなくても高所得者の方がいいわ」 「そ、そうなのか・・・」 「それとか、私、体臭なんか全然気にしないって言ったけど、それはあなたがイカ臭いから気遣ってそう言っただけで本音を言えば、ペパーミントとまではいかなくても爽やか系の匂いの方がいいわ」 「そ、そうなのか・・・」 「それとか」 「おいおい、まだあるのかよ」 「ふふふ、そう、だからね、付け上がってないで身の程を考えなきゃ」 「と言うと?」 「だから好きと好意を一緒くたにするのよ」 「つ、つまり僕が君を好きになれってこと?」 「ええ、そう。そうすれば、お互い好きになるんだからそれが一番いいことだと思わない?」 「し、しかし・・・」 「お互い身の程を考えてさ」 「う~ん・・・」 「お互い今までに言えなかったことを吐き出せてすっきりしたことだし・・・ね」 「僕は本音と建前について触れただけで君のように身も蓋もなく露骨に吐き出せてないからすっきりどころが深く傷ついてしまったよ」 「ああ、ごめんなさい、でも私の言うことって一理も二理もあると思わない?」 「んー、身の程を考えて好きと好意を一緒くたか・・・」 「そう。そうして私たちは一緒になるのよ」 「ちょ、ちょっと待ってよ。話が急すぎるよ」 「ねえ、いいじゃな~い」 「そう迫られても・・・」 「ねえ、私、あなたに全部上げてもいい」 「い、いや、君ねえ・・・」 「ねえ!ねえ!」とこの後も貴子に迫られ続けた義男は、到頭観念した。 「ま、まあ、据え膳食わぬは男の恥と言うし、よし、分かった」 「ヤッホー!ヤッター!わあ!嬉しい!」  貴子が歓喜の声を上げ義男に抱き着くと、彼は満更でもなかった。  が、6階に上り、ドアが開いて乗り込んで来た男に貴子の抱擁を受ける自分を見られてしまうと、彼女の器量が悪い所為で気恥ずかしくなった。
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