チーム渋沢紀行

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チーム渋沢紀行

東京へ着き 私たちは高尾の別荘へ直行 羅芽と二人で スケルツォの楽譜を探す 本棚の本を全部取り出し裏に何かないか 本に挟まっていないか 机の引き出しのすべて 机の裏側 ピアノの中 クローゼットの隅々 明け方まで探したが 見つからない 疲れて二人 ぐっすり眠る 午前11時頃 お母様から電話が来る 『紀行の演奏会 結論から言うと 香帆さんが良ければ他の誰もがGOサインよ ショパン音楽大学の先生も賛成してくださったそうよ』 「わかりました」 『今日の夕食 家で皆で食べましょう 目白の教会まで来たら そこからタクシーでいらっしゃい』 夕食の約束をして電話を切る 羅芽は机の右側に入っている 大量のノートに書き込まれた 意味不明の記述を 熱心に読み込んでいる ガラス戸のついた書棚から 発見されたスケルツォ4曲は 丁寧に清書されたものだ 仕上げる途中の楽譜なら ピアノからすぐに出し入れ可能な 保管に適した場所にしまうはず 私はピアノを弾きながら考える 紀行さんの心に呼びかけ バッハ平均律クラヴィーア曲集1-1 を静かに奏でていると・・・ 来た 紀行さんの感覚! 脊髄のゲージをずんずん上がり脳幹まで あ・・・ 私は思わず立ち上がる 羅芽も答えを得たらしく 笑顔で近づいてきた 私たちは ピアノの椅子に注目する 座面の下を飾る5〜6cm程度の 木彫の部分をよく見ると 薄い引き出しになっていて ピアノ側にスライドさせると 「あった!」 鉛筆で書かれた楽譜が 何枚も入っている 確かにスケルツォNo.5 No.6 No.7 まである 羅芽はさっそく演奏してみる 技巧的に難しい部分が多く 簡単には弾けない ということは・・・ 羅芽の中に紀行さんはいない⁈ さっそく清書したいと思うが 正しく譜面を起こすのには かなり時間がかかりそう 紀行さんが一番心残りだったのは これに違いない この楽譜を整理して清書し 演奏して 世の中に残すこと 私は自分の感性と知識を駆使して これらの曲をまとめたいと思う だが それからの方が問題である 渋沢紀行は  ショパンの魂を受け継ぐ作曲家として スケルツォ以降 何か 次々に作曲できるのか? 私は作曲法の授業で 課題の作曲をした経験はあるが 自分に作曲の才能があるかどうか 真面目に向き合ったことはない 羅芽は科学的人間だから 対位法や和声法等を学び 音楽の魅力を数値的科学的 あるいは彼が得意な粒子的に研究し 人の心に響く音楽を作ることが できるだろうか? そのことについて羅芽に確かめる 「本当に 作曲家 渋沢紀行になってしまっていいの? これから先 作曲家として生きていく自信あるの?」 羅芽は なんと 首を縦に振る こぶしで胸を叩き 右手の親指を立て まかしとけ! と言わんばかり 「私に頼らなくても大丈夫なの?」 羅芽は それには肩をスカして 首を横に振る 羅芽がメールを書き込んでいる間 私は発見された楽譜を少し弾いてみる ショパンの好きそうな繊細な音選び 左手と右手の絶妙な掛け合い 泣きたくなるような情緒を カッチリ支える構成の確かさ  『やっぱり紀行さんは素敵 渋沢紀行を誇りに思う やってみようか 作曲家渋沢紀行を 渋沢紀行の妻を・・・』 羅芽のメールを読む 『僕は去年からPCで音楽ソフトを使って作曲を楽しんでいる 作曲は楽しい これからも作曲に挑み続ける意思はある 香帆に譜面を起こしてもらいたい 譜面を起こしながら一緒に作曲してください 二人で一生 チーム渋沢紀行 を生き抜こう 紀行さんのノートのメモは 世界の事象を音楽に変換する試みだ 色彩の科学 味覚 臭覚 触覚 植物や動物や昆虫の生態 気象 地学 化学 その他様々な分野の法則を音に置き換える試み とても興味深い その中に[椅子の中]という記述が何度か出てきたんだ! 僕と香帆が力を合わせれば きっと作曲は楽しい一生の仕事になる お願いします 僕は挑戦してみたい』  私は羅芽と目を合わせて言った 「チーム渋沢紀行 楽しみましょう!」 私たちは晴れやかな気持ちで 目白のM教会に向かう 教会の礼拝堂の音響は素晴らしく 神父様がオルガンで奏でるバッハは 神様の愛そのものが響いているようだ ワルシャワへは10月初旬までに 到着したかったため それに間に合うなら ダニエル神父様の提案を そのまま引き受ける と約束する 「香帆さんの名前も出番もなく申し訳なく思います」 と神父様はおっしゃったが 「私たちは二人で チーム渋沢紀行です 彼は前面に出て戦う人 私は後方支援 彼が安心して飛び立つためには空港の整備も必要ですから」 私は心からそう答えた 教会での演奏会は9月23日の日曜日 午後3時から5時までと決まり 準備ができるなら 初めから終わりまで すべて自作のスケルツォ7曲  その他自作初披露演奏会とする 渋沢紀行は声を発することができない という事実を公表し マスコミ等の対応については 神父様に一任する 池袋の渋沢家に着くと 英二おじい様が 私たちを待っていた ワルシャワでも 24時間ピアノの練習ができるように 私たちが住む一軒家を購入したという ピアノは好きなものを二台選んで 早めに発注しなさいと言う ありがたい愛情に感謝する 目白の教会での演奏会に関しては おじい様の管理下にある音楽関連会社の 専門スタッフが最新の録音技術を駆使して CDとDVDを制作するとのこと 私はそれまで3曲の譜面を起こせるか 不安になる 藤崎講師に相談してみようか 自分一人では手に負えそうもないほど 話が進んでいて 焦る 紀行さんは 本当に私を振り回す お母様が親切で言って下さった通り 私が疲れてしまわないかどうか 自分で不安になる お金がなくて飢えていた日々 誰一人 頼る人も 恋する人もなく ショパンだけを想いピアノを弾いた日々 紀行さんの別荘に引っ越してからの 急展開 落ち着く間もない激動の日々 穏やかな日常に憧れ 自分の自由になる時間を持ちたくて バイトをすべて断ったはずなのに 結局 穏やかな日常も 自分の時間も 遠い夢と消える なんとなく そんな気持ちを 渋沢家の家族に語る 彼らは もう 私の家族なのだ 英二おじい様は言った 「力がある人間は 死ぬまで力を使い続けることで自分を磨き出すものです 実力があっても力を使えない人間 使い方がわからない人間もいます 香帆さんの力を必要としている人が すでに集まっている 紀行だけじゃなく 私たち渋沢家の家族も 紀行に関わるすべての人も 香帆さんの力を信じている 大変だと感じることもあるでしょう そんな時は 大変という意識を 信頼感に置き換えて考える あなたは信頼されているのです 疲れた時は休息してください 皆 あなたを待ってくれます 時間がなければ欲張らないことです その時までに できることをすればよいのです できないことまでしようと思う それは無謀です 自分の『質』を信じてください 人はあなたに『量』を求めてはいません 香帆さんの素晴らしい『質』を信頼し求めているのです」 お母様は言った 「まあ簡単に言えば 頑張り過ぎないことよ 紀行がやりたい事は勝手にやらせておきなさい 自分一人でできないなら紀行だって考えるでしょ 何でも手伝ってサポートするだけが愛じゃない 放っておく 突き放す 戦ってみる 無視してみる いろいろな愛を試してみなきゃ」 清行伯父様は言った 「香帆さんは私たちを家族と思い信頼して心を打ち明けてくれた それがとても嬉しい 私たちは永遠にあなたの味方です あなたは具体的な答えを得られなくとも 悩みを打ち明けてくれるという事実だけで私たちとの絆が深まる 音楽や美術が言葉を使わなくても人に感動を与えるように 内容に関わらず心を割って語り合う時間が人を癒すものです 違いますか」 ありがたいと思う 彼らの言葉は優しく 同時に 紀行さんが 羅芽が 言葉を発せず ただ優しく見つめてくれることも とても ありがたいと思う 実は 渋沢家の家族みんなが 『チーム渋沢紀行』なんだ  と 認識を改める
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