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ぼくには、おとうさんがいない。なぜなのかは思い出せないけど、さみしい思いをしたことはない。なぜなら、おじいちゃんがいるからだ。ぼくは、おじいちゃんとおばあちゃんといっしょに生活している。おかあさんもいっしょに生活しているけど、はたらいていてほとんど家にはいない。でもさみしくないのは、おばあちゃんがいるから。おじいちゃんとおばあちゃんは、ぼくとまい日あそんでくれる。それがとてもたのしくて、ぼくはおじいちゃんとおばあちゃんが大すきだ。
でも、さいきんおじいちゃんとおばあちゃんのようすがおかしい。二人とも、ずっとしんどそうにしていて、おじいちゃんは、なん日も家にいないときがある。ぼくは、今までさみしいきもちになったことがなかった。だけど、「さみしさ」というのは、こういうことなのかとわかるようになってきた。さみしさというのは、こころがなんだかスースーするんだ。夏でもさむいかんじがするきもち。おばあちゃんは、ずっと家にいてくれるけど、むかしみたいにあそんでくれない。ずっとベッドでねている。ぼくは、じぶんがきらわれてしまったのかと思うようになった。でも、それはまちがっていた。
ある日、おかあさんがしごとからかえってきて、ぼくに、おはなしがあると言った。ぼくはなんだろう?とおもって、おかあさんのへやに行った。おかあさんは、はなしはじめた。おばあちゃんは、じんぞうというからだの中ではたらいているぞうきがとてもわるくて、おきているのもしんどいということ。おじいちゃんは、はいというぞうきがガンというびょうきにかかっていること。おじいちゃんがときどき家にいないのは、びょういんに入いんというのをしていること。入いんというのは、びょうきをなおすために、びょういんにとまることらしい。おじいちゃんがときどき家からいなくなるのは、入いんしていたからなんだということをしった。
つづけて、おかあさんは言った。二人とも、なおらないびょうきなんだよ。もうながくは生きられないんだよ。と。おばあちゃんがわるくした、じんぞうは一どわるくなると、よくなることはないらしい。おじいちゃんの、はいのガンというびょうきも、なおることはなくて、どんどんわるくなるびょうきなんだって。ぼくは、はじめて、おかあさんからこのはなしを聞いたとき、よくわからなかった。でも、ぼくは、なん日もかんがえて、かんがえて、やっとわかった。おじいちゃんとおばあちゃんは、いつかはしんでしまうんだということを。
公えんでアリをふんでしまってアリがしんでしまったことはあるけど、人がしぬというのは、あまりそうぞうができなかった。けれど、ある日のあさ、おじいちゃんがうごかなくなった。ぼくは、公えんでアリをふんでうごかなくなったことをおもいだした。おじいちゃんは、しんでしまったんだ。ぼくは、とてもかなしいきもちになって、いっぱいないた。おじいちゃんは、ガンというびょうきにころされた。おじいちゃんのガンは、今のおいしゃさんではなおせないものだった。
おじいちゃんは、おとうさんがいないぼくに、びょうきになるまでは、さみしいおもいをさせなかった。まい日、まい日、あそんでくれた。おばあちゃんもそうだ。いつか、おばあちゃんもたびだってしまうのかなとおもうと、ぼくはとてもかなしいきもちになる。だけど、おばあちゃんが生きているあいだは、ぼくはいっぱいおてつだいをする。いっぱいえがおを見せてあげる。おばあちゃんがよろこぶことをいっぱいしてあげる。おばあちゃんが、さみしくないように。
ぼくは大きくなったら、おじいちゃんとおばあちゃんみたいに、かぞくにさみしいおもいをさせない大人になる。かぞくに、こころがスースーするきもちをあじわってほしくないから。おじいちゃんとおばあちゃんは、ぼくをいっぱいかわいがってくれた。こういうのをあいしてくれたって言うのかな?ぼくも、大人になって、けっこんして、子どもができたら、ぜったいにかわいがってあげる。いっぱいあいしてあげる。せかいから、「さみしい」というきもちがなくなるように、まずはぼくが、みんなをあいしてあげるんだ。
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