海軍兵学校 合格

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海軍兵学校 合格

 さて、まるで「わざわざ病気になるためだけに行った」ような台湾旅行から同じ船旅で無事に日本に帰ってきた私でしたが、海の広大さ、潮の香り、船の魅力に惹かれてますます海軍の将校になる意思が固まりました。  しかし海軍の将校になるには当時、広島県の江田島という島の中にあった海軍兵学校を受験して合格しなければなりませんでした。  この学校は日本全国から海軍将校を目指す優秀な生徒がたくさん受験するので、東京の陸軍幼年学校と並んで超難関とされていました。  今の感覚でいうと「東大合格」を目指すようなものです。  また兵士になることが前提ですので、ただ単に学力だけではなく病気の有無、身長、体重、視力、聴力などの兵士として最低必要な身体テストもあり、体の小さい私にとってはまさに難関中の難関でした。  事実、中学4年生のときに受けた試験は、身長がわずか1cm足らずに不合格になり、この時は本当にがっかりしました。  やっと身長が伸びて、規定の最低ラインを超えた中学5年生のときは受験ができたものの今度は筆記試験で点数が足らずにまたもや不合格になりました。  これにはもう一回がっかりしました。  2回も続けて不合格だったので周りの目に「おい、本当に大丈夫か?」という視線を感じ始めた私は、「お父さんのような海軍将校に本当になれるのだろうか」と自分自身でも大きなプレッシャーを感じるようになりました。  それだけ父の存在は大きかったのです。  しかし「3度目の正直」と言う言葉があるように、なんとか次の年に受けた試験がパスして体力テストも無事合格し、念願の海軍兵学校の狭き門をくぐることができたのです。  後で聞くと、このときの入学試験倍率はなんと20倍でしたので、よく自分でも通ったものだと感心しました。  同じ佐賀県三養基中学からは私の他に平山成人君と広尾彰(ひろお あきら)君という生徒が2名、私を入れて合計3名が合格したことになります。  この「広尾彰」という名前は後からもう一度出てきますから覚えておいてください。  兵学校から届いた合格電報をもらったときは苦労して難関校に通った喜びよりも「やった、これでもう試験を受けなくていい、怒られなくて済む」という重圧から開放されほっとした気持ちが先にたったことを覚えています。  またこの日から睡眠もしっかり取れるようになりまさに「枕を高くして寝る」ことができました。  数日して落ち着いてから、ようやくうれしさがこみ上げてきて「やっとお父さんと同じ海軍兵学校に入れた、これでお父さんに負けないような立派な将校になることができる」と実感が湧いてきたのでした。
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