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「ちょっと澪、隠しておけないなら聞いちゃえばいいじゃない」
床に敷かれたラグに座り、美羽は澪の手を離す。
澪も同じように床に座ったが、その顔は一緒に持ってきてしまったクッションに隠されたままだ。
「だからー、ダメだってばぁ」
「そんなにダメなの?」
「ダメなのー」
美羽が首を傾げれば、ゆっくりと澪は顔を上げた。
その唇はいじけるように尖っていて、それを見た美羽も同じように唇が尖った。
「慧にいが本社に異動になった時、その理由を聞かなかったじゃん。ただ凄いねーってはしゃいでさ。でもその時の慧にいの嬉しくなさそうな顔がさ、ちらつくんだよね」
「でも戻って来るじゃん。ならもう理由を確かめてもよくない?」
「美羽は頭良いのに、どうしてそういうとこ空気読めないの? 慧にいそっくり」
澪は溜息をつく。
「慧にいがせっかく本社勤務になったのに元の会社に戻るのは、前に一緒に呑んだりしてた先輩の為だとしてもさ、それを私たちが言ったらダメなんだよ。だって慧にいは何も私たちに話してないんだから」
「……まぁそうだけどさ」
「きっと本社に異動する理由を聞いてたら、慧にいは話してくれたかもしれない。でもそのとき聞かなかったんだから、戻って来る理由を聞く権利もないの!」
「だぁかぁらぁ! どうしてそうなんの!? 別にいいじゃん! 本社おめでとー! って言って、戻って来るって聞いたら何で? ってなるのは当たり前じゃん!」
美羽が澪が抱きしめるクッションを叩いた。すると澪はそれを譲るようにクッションを美羽に渡した。
「純粋に『何で?』ならいいの! 私たちはそうじゃないでしょ! 『先輩絡みなの?』って聞きたいだけじゃん! そういうのはダメなの! あーもー、なんで分かんないの!?」
「分かんないよ! なにその感覚的な問題! 身体動かす人ってそんな風に感覚で生きてんの!?」
「そうだよ! 感覚が大事なんだよ! シュートを投げる時だって色々考えるけど、結局決まるかどうかは判断だけじゃなくて、ここだ! って思う感覚なんだよ! 理数系のいつも理論的な人たちには分からないかもだけどね!」
「出たよ出た! 理数系は頭が固いよ的な発言! 耳にタコだし! っていうか、理論的に生きていた方が何かと便利なんですー! 一番現実味があるんですー!」
「理論が成り立たない場合だってあるんですー!」
「感覚だって頼りにならない時があるんですーっ!」
ぐぬぬぬっ、と二人は睨み合い、けれどいつものそれに「「はぁ……」」と同時に溜息をついて脱力する。
今度は美羽がクッションを抱いて、顔を隠しながら言った。
「まぁ澪がそう言うんだから、私だって黙ってるよ」
「うん、分かってる。慧にいだって私たちが言いたくないことを無理に聞くわけないし」
「そうだね」
頷き合い、少しだけ沈黙が広がる。
だが二人でいる時に静かな時間など、必死にテスト勉強をしているとき以外存在しない。
「てかさぁ、もし慧にいが本当に例の先輩絡みで戻って来たんだとしたら、それって本社に異動したのも先輩絡みだったのかな?」
「えっ、ならやっぱりお兄ちゃんってその先輩のこと好きなんじゃない?」
「あ~っ、やっぱり前に先輩のこと話してた時に、どんな人なのかもっと詳しく聞いとけばよかった~っ」
「おーい! 二人とも! 母さん帰って来るって連絡来たぞーっ!」
下から聞こえてきた兄の声に、二人は「「はーい!」」と返事をする。そして立ち上がり、目線を改めて合わせて頷いた。
そこに言葉はない。
だが、そのことについては触れないでおく、ということの確認が行われた。
それでも最後に、ほんの少しだけ会話をする。
「いつか、会えるといいね」
部屋から出ながら、美羽が言い、
「うん。いつかね」
それに澪が返して、二人一緒に階段を下りていった。
――――『初めまして』のその前に。
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