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「はじめまして、お父様。私、矢子つぼみと申します!」
「はっ……?!」
急に自己紹介するわけのわからない女に、男は殺気立つ。美しい顔は途端に険しくなり、剣呑な目つきで矢子を睨んだ。
体が震える────でも、言いたいことを言うまでは、離すものか。
「私、佳佑さんとお付き合いをしています、佳佑さんが好きです!」
真剣に見つめながら叫ぶと、矢子はぎゅうと力一杯しがみついた。
「佳佑さんを私に下さい!」
「はぁ?!」
必死にグイグイと迫る変な女に、彼は若干圧倒されるように仰け反った。
いらないのなら、私が欲しい。心から欲しい。だから下さい。
ありったけの力で、彼の腕にしがみつく。
「おい、佳佑。なんだこいつ、きもちわりぃ」
不愉快そうに腕を振って、走り寄って来たユカに向かって静かに怒鳴る。けれど、矢子は離さない。
その様子に、ユカは目を丸くした。
声を荒げ、視線を向けて、『佳佑』の名を呼ぶ。こんな父、見たことがない。
「佳佑さんを、ください! 大事にしますから」
「好きにしろよ……!」
吐き捨てるように言って、思い切り腕を振り上げた。今度こそ矢子は振り剥がされ、よろめいたところをユカが受け止める。
男は不機嫌にフンと鼻息を吐いてスーツを直した。
「こんなのが欲しいならくれてやる」
「ありがとうございます、大切にします。私は、絶対に大切にしますから!」
矢子がお辞儀をしてうるさいくらいの大声で叫んだ。
夕方の駅前、人の多い時間帯だ。そこで叫べば、周囲の人々が何事かとざわつく。
「……お前、ムカつくな」
腹の底から唸るような低音で、彼は呟いた。怒気を孕んだ瞳で刺すように矢子を睨みつける。
そして数歩、矢子へ向かって踏み込んだ。
彼の大きな手が伸びる。
その手は、矢子の喉元を狙っていた。
殺される────! 反射的にそう思い、ぎゅっと目を瞑る。
「────父さんっ!」
ユカが鋭く叫んだ。
目を開けると、男の顔に、ユカが思いっきり投げつけたであろうウィッグが被さっていた。矢子が目を丸くする。
と、ふいに手をグイと引っ張られた。
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