7章

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「先生、舞台に立つ時の秘訣ってありますか?」  聖愛が木下先生に尋ねました。  整った顔立ちをした聖愛の白磁の頬は紅潮し、おとなしい彼女にしてはやや挑むような口調です。緊張しすぎて気持ちが上ずっているのかもしれません。  木下先生は口角を持ち上げて笑うと、聖愛だけでなく、同様に緊張している他の二人に向かっても語りかけました。 「緊張自体は悪いことじゃないんだ。気持ちが引き締まって、自分のポテンシャルを最大限引き出してくれる。それに、むしろあの舞台の真ん中に立ったら感動すると思うんだ。それを楽しんできて欲しいなぁ」  木下先生の超ポジティブな話に少女らが頷いた時、係の人がやってきて最初の3組を呼び出しました。聖愛たちは最後から2番目ですか、有紗のところはなんとトップバッター。出場する子どもたちは付き添いの先生たちとはここでお別れし、部屋を出て行きます。  有紗は最後まで母を振り返ることをしませんでした。前だけを見つめるその後ろ姿に頼もしさと成長を感じると同時に、一抹の寂しさを覚えてしまいます。  そんな倫子さんの肩を木下先生がそっと叩きました。 「ここは僕がいるんで、ミチコ先生は行ってきてあげてください。事情を話せば、舞台の陰辺りから見せてもらえると思うんです」 「え……?」 「有紗ちゃんもきっと、お母さんに聞いてほしいと思いますよ」  そういうことに気を回してくれるところが、木下先生の素敵なところじゃないですか。  倫子さんは胸がぎゅっと熱くなるのを感じました。  あぁ、やっぱりこの人が好き。  それもファンとしてとか、人としてとかじゃなくて、その腕に抱きしめられたい、手に触れたい……そんな肉欲的な欲求を伴う感情。  倫子さんは熱い吐息を漏らすと共に、目を伏せました。  ダメですよ。  40年も生きてきて初めて覚える異性への恋情は、まっとうな既婚者が抱いちゃいけない気持ちです。それだけは分かります。分かっています。 「……ありがとう。そうさせてもらうわ」  それは有紗のためだけではありません。上せた頭を一旦冷やす意味合いもありました。  倫子さんは聖愛たちに断ると、有紗たちを追いかけるべく控室を出たのでした。
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