7章

11/17
前へ
/176ページ
次へ
「ミチコ先生は既婚者だからこんな気持ちは我慢しなきゃいけないって、今まで散々自分に言い聞かせてきたのに……ずるいですよ、こんなに素敵なところばかり見せてくるなんて」  あぁ。木下先生の腕の中で、このバリトンボイスを聞く日が来るなんて!  そんな状況を願っていないわけでは無かったのに、いざとなると情けないことに倫子さんは声も出ません。  大きな物音を立ててはいけない状況ですから当然といえば当然ですが、倫子さんの拙い恋愛経験値でどうにかできる事態ではなかったんですよね。  倫子さんが無駄に固まっているうちに、会場の方からは大きな拍手が聞こえてきました。  聖愛たちの発表が終わったのです。  ということは退場してくる彼女たちがこちらへ向かってくるはず。  教え子たちに見つからないよう、木下先生に抱きしめられたまま息を殺しているうちに、複数の軽やかな足音が聞こえ、去って行き、そしてまた次の発表者を迎える拍手が響いてきました。  スタッフさんも舞台に目を向けているようですし、出ていくなら今しかありません。倫子さんと木下先生は目配せしあい、とりあえずこの場を離れることにしたのでした。 * * *  それから後の倫子さんはふわふわしてしまって、自分が何をやっているのか、何を喋っているのかもろくに分かりませんでした。  頭の中が木下先生一色なんです。彼の向けてくれた情熱で体中が沸騰してしまっているんです。あぁもう、どうしましょう。どうしたらいいんでしょう。  それでも引率教員として、出場者の母としてここへ来ている倫子さんは、とりあえずこの場を取り繕うことに全力を傾けるしかありません。  支離滅裂なことをやらかしていないか祈るばかりですが、本来ならドキドキするはずの結果発表も上の空。  そういえば結局、優勝したのは良隣でも観世音堂でもありませんでした。  とある公立中学の三つ子ちゃん兄弟ですって。  彼らは日本生まれの日本育ちなんですけど、お母さんがハーフで英語を喋れるものですから、幼い頃から英語に親しんでいた模様。  だから出場者たちの中では、発音が群を抜いて良かったんです。  そんなのアリ?!って思いますが、出場資格は今まで英語教育を受けていないこと、海外での生活経験がないこと、などですから何も問題はありません。  この結果には聖愛たちも有紗たちも、もちろん悔しがりはしましたが、これはもう仕方ないよね、と途中からは互いに顔を見合わせ、みんなで笑ってしまっていました。  あぁ、そうそう。結果を待っている間に聖愛が有紗に話しかけたそうで、子どもたち同士はいつの間にやら仲良くなっていたのです。
/176ページ

最初のコメントを投稿しよう!

105人が本棚に入れています
本棚に追加