8章

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 そして手に職を、と思ったのですが得意なことが何も無く、興味があったのは歴史だけ、という倫子さんは歴史の先生、という道へ進んだのでした。  そんなお母さんに「弟にも受験させてやりたいんだけど」と有紗が助力を願い出れば、賛成しないはずがありません。 「あらあら、いいことじゃないの。滉ちゃんにも挑戦させてあげなさいな」  お母さんが予想通りのリアクションを見せるので、倫子さんは思わず笑ってしまいました。  実家に到着して最初のお昼ごはん、マヨネーズを添えた冷やし中華を食べながら、倫子さんはこちらの思惑通りに話が運ばない理由を説明します。 「これは本人の意志がまず大切になる話だからね。それに、受験するならそろそろ始めたいのは確かだけど、結局隆さん次第よ。あの人、お金のかからない公立学校至上主義の人だから」 「()っちゃんだってしっかり稼いでるんだから、我慢しないで自分の主張を通したらいいじゃないの」  自らの稼ぎがあれば自由になれると信じ込んでいるお母さんは不思議そうですが……いえ、そうですね。こういうところはすぐに隆さんの顔色を伺ってしまう倫子さんが悪いのかも。  でも隆さんは倫子さんの倍以上稼いでいますし、何より倫子さんはこの母から我慢する姿勢を学んだのです。  耐えがたきを耐えてこそ我慢。そして我慢は家庭の平穏を守るために必要不可欠なことなのだ、と。  ちょっと稼いでいるくらいでは、言いたいことを全部伝えるなんて無理な話です。 「まぁ、隆さんも変わってる人だからねぇ」  お母さんは苦みを多めに含んだ目をして笑いました。  変わっている、というのはこちらの常識とは違う次元の人、という意味です。  どうやらお母さんは田植えの時のことを言っているよう。  数年前にお舅さんが亡くなって以来、組合に田んぼを貸し出し、僅かな畑で野菜を作って悠々自適に暮らしている山崎家ですが、かつては自分たち家族だけで米作りをしていたので、毎年親戚一同が集まって田植えをするのが恒例行事でした。  しかし隆さんだけは呼んでも来ないのです。  都会の人は忙しいのね、と親戚から嫌味を言われつつ、幼い二人の子供を連れて手伝いに来ていた倫子さんにとっては苦い思い出ですが、あぁそうでしたね。農家にとって田植えがどれだけ大切な行事であるのか、隆さんはちっとも理解してくれませんでした。自分の実家のこと、特にお母さんのことなんかはとても大切にしているのに……本当に困った人です。
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