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10
体育館から聞こえてきた掛け声とシューズのこすれる音に、足を止める。
ふらふらと吸い寄せられるように近づいてみれば、中では部活動のまっただ中だった。
三つに区切られた体育館を、バスケ部とバレー部、バドミントン部で分け合って使っている。いちばん広いスペースをとっているのはバスケ部で、今はちょうどスリーオンスリーが行われている最中だった。
渋谷くんの姿は、すぐに見つけた。あいかわらず目立っていたから。
コートの中を、鮮やかなドリブルさばきで駆け回っている。俺が見ているあいだだけで、彼は三回もシュートを決めていた。そのたびチームメイトとハイタッチを交わす笑顔はさわやかで、素直にかっこいい。やっぱりイケメンだなあ、とあらためて確認する。モテるんだろうなあ、とも。
桃ちゃんとは、いつ別れたのだろう。どれぐらい付き合っていたのだろう。
……どちらから、別れを切り出したのだろう。
気になるけれど、あまり答えを知りたくないような疑問が次々湧いてきて、知らず知らずのうちにため息をついていたとき
「なにかご用ですかあ」
ふいに後ろから、そんな無愛想な声がした。
驚いて振り返ると、立っていたのは須藤さんだった。ジャージ姿で、手にはタオルとスポーツドリンクのペットボトルを持っている。
「あ、須藤さん」顔見知りだったことに、俺はちょっとほっとしていたけれど
「……智くんじゃん」
俺の顔を見た須藤さんのほうは、無表情のまま素っ気なく呟いた。
「バスケ部になんか用事?」
尋ねる声にもあいかわらず愛想はなくて、俺は少し面食らう。
須藤さんは春子と同じクラスで、入学当初から春子と仲が良かった。だから春子を通して、俺とも面識はあった。三人でいっしょに帰ったこともあるし、廊下ですれ違えば気安く声をかけるぐらいの仲ではあった。少なくとも俺の中では。
だけど今、久しぶりに顔を合わせた須藤さんに笑顔はなかった。それどころか、どこか棘のある視線を俺に向けながら
「なに、誰か話したい人でもいるの? 呼んでこよっか?」
素っ気ない口調のまま、そう訊いてきた。その表情からは、早くこの場を立ち去りたいという気配が伝わってきた。
「ああ、いや」俺はあわてて首を横に振ると
「いい、大丈夫。ちょっと見に来ただけだから」
「見に来た? なに、誰かストーカーでもしてるの?」
「はあ?」
「あ、わかった。――渋谷くんでしょ」
急にずばりと言い当てられ、心臓が跳ねる。
俺の顔をのぞき込んできた須藤さんの口元には、ようやく笑みが浮かんでいた。けれど好意的なものではなかった。なにかを見透かしたような、面白がるような笑顔で目を細めた須藤さんは
「渋谷くんになんか用事? ああ、あの子のことでも聞きたいの?」
「あの子?」
「桃ちゃんのこと。この前まで渋谷くんと付き合ってたもんね。別れた理由でも聞きに来た? でもそれなら、桃ちゃんのほうに聞けばいいんじゃない? 今は、智くんが桃ちゃんと付き合ってるんでしょ」
堰を切ったように、平坦な口調でまくし立てられる。
この前まで。今は。妙に強調されていた気のする部分に、俺が眉を寄せていると
「ねえ、智くんさ」
須藤さんはまたその顔から笑みを剥がし、言った。
「いつまであの子と付き合う気なの?」
「……は?」
「よく平気で、付き合えるね」
吐き捨てられた声には、あからさまな敵意がこめられていた。
「……どういう意味?」
俺は眉をひそめて、須藤さんの目を見つめ返す。
須藤さんは俺の質問には答えなかった。「智くんさ」苛立った様子で、自分の爪先をいじりながら
「なんとも思わないの?」
「なにがだよ」
「春子のあの髪見て。なんか思うことないの?」
再度、どういう意味、と訊こうとした俺の声に重なり、笛が鳴った。「集合―!」という顧問らしき先生の声がかかる。
それに反応して須藤さんはさっさと踵を返すと、止める間もなく駆け出してしまった。
バスケ部員の中に混じっていく須藤さんの背中を眺めながら、須藤さんにぶつけたかった言葉が、行き場をなくして喉の奥で絡まる。
はじめて真正面からぶつけられた敵意は思いのほか重たくて、息が詰まった。
そしてそれは俺ではなく、俺を通して桃ちゃんへ向けられていることも、はっきりわかってしまった。
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