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 母が持ってきたのは、紅茶と二つのケーキだった。チーズケーキとモンブラン。 「桃ちゃん、どっちがいい?」 「智くんは?」 「俺はどっちでもいいから、桃ちゃんが選んでいいよ」 「わ、ありがとう。じゃあ、えっと……」  桃ちゃんは難しい顔をして、かなり長いこと悩んでいた。  そんなに悩むなら両方あげようか、と俺が言いかけたとき 「決めた、こっち!」  とようやくチーズケーキを選んだ。 「んー、おいしー」  桃ちゃんが幸せそうに、チーズケーキを頬張る。目を細めて呟くその表情も、本当に幸せそうだ。 「よかったね」と笑って俺もモンブランにフォークを沈めながら、まぶたの裏には、さっき見た春子の姿がちらついていた。  あの飛び出し方は、家の中で誰かと喧嘩でもした感じだった。春子はひとりっこなので、喧嘩するとしたら、おじさんかおばさんしかいないのだけど。  春子がおじさんたちと喧嘩している姿なんて、これまで一度も見たことはない。春子は基本的にいい子だったし、おじさんたちも穏やかでのんびりした人たちだったから。  もし、そんな彼らが喧嘩するとしたら。考えられる理由は、あれしかない。 「智くん、食べないの?」  向かい側に座る桃ちゃんが怪訝そうに顔をのぞき込んできて、我に返る。  いつの間にか、モンブランの三分の一ほどを食べたところで手が止まっていた。 「ああ、いや、食べる食べる」 「もしかして智くん、モンブラン苦手だった?」  いや、と首を振りかけて、ふと桃ちゃんの顔を見る。じっとこちらを見つめる桃ちゃんの目は、心配そうというより、どこか期待に満ちていて 「……あ、うん。実は。よかったら桃ちゃん、食べてくれない?」 「えっ、いいの?」  ぱっと桃ちゃんの顔が輝く。どうやら正解だったみたいだ。うん、と俺が笑ってモンブランを桃ちゃんのほうへ差し出すと 「あ、じゃあ、私のチーズケーキと交換しよう? ごめんなさい、半分ぐらい食べちゃったけど……」 「いや、いいよ。チーズケーキも桃ちゃんが食べて」 「え、でも」 「もうお腹いっぱいだから、俺」  実際、心配事と桃ちゃんが俺の部屋にいるという緊張のせいで、さっきから喉の通りが悪い。 「ほんとに? いいの?」 「うん。食べてもらえるとありがたいです」  じゃあ、と桃ちゃんはうれしそうに笑ってモンブランを受け取ると 「いただきます! ありがとう」 「どうぞどうぞ」 「うれしいな。私ね、実はちょっと後悔してたの。智くんの食べてるモンブランがすごくおいしそうに見えて。やっぱりモンブランにすればよかったかな、って」  なんとなく、それは感じていた。さっきから、ちらちらと視線が飛んできていたから。  桃ちゃんはちょっと恥ずかしそうに自分の手元に視線を落として 「私、いっつもそうなんだ」 「そうって?」 「人の食べてるものがね、おいしそうに見えちゃうの」  桃ちゃんははにかむような笑顔でフォークを手に取ると、もう一度、いただきます、と繰り返した。  ケーキを食べ終えると、桃ちゃんはまた、アルバムが見たいと言った。 「いつ頃のやつがいいの?」 「えっとね、じゃあ次は小学生の智くんが見たいな」  言われて、本棚からアルバムを探す。俺が大きくなるにつれ、写真を撮る機会は減っていったらしい。最初は一年でアルバム一冊分あったのが、小学生にもなると三年で一冊ほどのペースになっている。 「あ、春子ちゃんだ」  あいかわらず「かわいい」を連呼しながらアルバムをめくっていく桃ちゃんが、たびたび手を止めて熱心に眺めるページがあった。それは決まって、春子の写ったページだった。 「本当にずっといっしょにいるんだね、智くんと春子ちゃん」 「腐れ縁ってやつだからなあ」  こうしてアルバムを眺めていると、俺もあらためて実感する。三歳頃のアルバムも小学生時代のアルバムも。けっこうな頻度で春子が写り込んでいる。途切れることなく。 「途中で疎遠になることとかなかったの? だいたい小学校の高学年ぐらいで、あんまり男女で遊ばなくならないっけ」 「そういうのはなかったなあ、そういや」  春子のあっけらかんとした性格のせいか、あまりに小さい頃からいっしょにいすぎたせいか、そんな意識をすることもなくここまできてしまった。  きっと春子のほうもそうなのだろう。中学に上がるまで、俺のほうが春子より背も低かったし、どちらかというと、俺が春子に守られていたようなものだから。 「でも、よかった」  ふいに桃ちゃんがぽつんと呟いて、なにが、と聞き返せば 「そのおかげで、私は智くんと出会えたんだから」  噛みしめるような口調に、どきっとする。顔を上げると、桃ちゃんもこちらを見ていた。至近距離で視線がぶつかり、よけいに鼓動が速まる。 「実はね」  俺が返す言葉を探しあぐねているあいだに、桃ちゃんが悪戯っぽい笑顔で続ける。 「春子ちゃんのせいなんだよ」 「え?」 「春子ちゃん、いつもすごく楽しそうに話してたの、智くんのこと。そのときの春子ちゃんの顔見てたらね、私、智くんのこと気になるようになっちゃったんだ。あんまり話したこともなかったのに」  だから、と視線を落として桃ちゃんは言った。 「春子ちゃんが、悪いんだよ」  けっきょく桃ちゃんが俺の家に来てしたことは、ケーキを食べて紅茶を飲んで、俺の小さい頃のアルバムを見ただけだった。「すごく楽しかった」とは言ってくれたのでよかったけれど。  帰る間際、桃ちゃんはアルバムの中の写真を一枚くれないかと言ってきた。 「お願い。落ち込んだときとかに眺めて、元気をもらいたいの」  こんなので桃ちゃんが元気になるなら安いものだと思い、「いいよ、好きなの選んで」と俺はアルバムを差し出す。  真剣な顔で吟味した末、桃ちゃんが選んだのは、例の泣いている俺となぐさめる春子の写真だった。 「え、これでいいの?」 「うん、これがいい」  ほくほくとした顔で桃ちゃんは写真を見つめながら 「これがいちばんかわいいもん。泣いてる智くんも、お姉さんぶってる春子ちゃんも。すっごくかわいい」  まあ、桃ちゃんがそう言うのならそれでいいけれど。  その写真は、どちらかというと俺より春子がメインに写っていたから、少しだけ、寂しくなってしまった。
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