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16
「昨日はごめん、電話」
昼休み、いつものように中庭で桃ちゃんと顔を合わせるなり、俺は開口一番に謝った。
落ち着いてからあらためて思い返してみると、昨日の桃ちゃんに対する電話口での態度はひどかったような気がした。余裕がなかったせいで、だいぶ素っ気ない言い方になっていたように思う。桃ちゃんは当然こちらの事情なんて知らなかったのだから、理由もわからず拒絶されて傷ついたかもしれない。
そう思うと胸が痛んで、深々と頭も下げれば
「あ、ううん」
後頭部に、恐縮したような桃ちゃんの声が降ってきた。
「私こそ。忙しいときに電話してごめんね」
「いや、桃ちゃんはぜんぜん」
顔を上げると、桃ちゃんはちょっと困ったような笑顔でこちらを見ていた。
「……ねえ、智くん」少しだけ迷うような間を置いてから、桃ちゃんがおずおずと続ける。
「昨日、春子ちゃんといっしょにいたの?」
「え」
「昨日ね、智くんに電話する前に、私、春子ちゃんにも電話してたの。でも春子ちゃんにもつながらなかったから」
一瞬だけ迷ったあとで、なにもやましいことはないのだから、と正直に頷いた。
「うん、まあ。昨日ちょっと、春子が親と喧嘩したらしくて」
「喧嘩?」
「たいしたことじゃないんだけどさ。でもそれで春子の帰りが遅かったもんだから、うちの家族もみんなで春子のこと探したりしてた。ごめん」
「……そっか」
桃ちゃんはベンチに座ると、膝の上に巾着袋を置いた。中から取り出されたのはもちろんお弁当で、俺は思わずほっとする。
「今日はお弁当あるんだ」
「うん。……あ、ごめんなさい、智くんの分までは作れなくて」
「ああ、いや、それは全然いいんだけど」
罰が悪そうに謝られ、あわてて首を横に振る。桃ちゃんがお弁当を食べられるのなら、それでいい。
ちらっと彼女の足下に目をやれば、今日はスリッパではなく上履きを履いているのが見えた。それにも少しほっとする。
「桃ちゃん、あれからなんか困ったこととかない?」
「え? うん、とくにないよ」
「そっか。ならいいけど」
何気なく、桃ちゃんがお弁当に箸をつけるのを眺めていたときだった。
「あれ?」お弁当に添えられた彼女の左手が、ふと目に留まった。
「それ、どうしたの」
「それ?」
「指。怪我したの?」
人差し指の付け根から先端にかけて、ぐるぐるとテーピングがされている。
ああ、と思い出したように桃ちゃんは左手を持ち上げて
「今日、体育の時間に突き指しちゃって」
「え、なんで?」
「バスケの試合してたら、パスされたボール取り損ねちゃったの」
「……バスケ」
返ってきた単語に、思わず眉を寄せる。なんだか嫌な響きがした。
「誰から」
「え?」
「誰からのパスだった? その、突き指したとき」
「え、須藤さんだけど……」
嫌になるほど予想どおりの単語ばかりが返ってきて、俺は目を伏せた。
先日向けられた、須藤さんの棘のある視線を思い出す。
やっぱりあのとき、呼び止めてもっと話をすればよかった。今更そんな後悔が湧いて、息を吐く。
折れそうに細い指に巻かれたテーピングはいやに痛々しく見えて、俺は思わず目を逸らしながら
「……桃ちゃん、今日さ」
「ん?」
「放課後、ちょっとやりたいことあるから。先に帰ってて」
「そっか。わかった」
きっと、俺の想像は間違っていない。間違っていてほしいけれど。
やっぱり一回ちゃんと須藤さんと話そう。重たい気分で決意しながら、俺はようやくパンの袋を開けた。
だけど放課後、須藤さんたちのクラスの教室を覗いてみたときには、すでに須藤さんの姿はなかった。春子もいなかった。
桃ちゃんはまだ残っていたので訊いてみたら
「須藤さんなら、ちょっと前に春子ちゃんと二人で出て行ったよ」
そんな答えが返ってきて、俺はすぐに察した。きっと春子も、俺と同じ用件で須藤さんを連れ出したのだろう。だとしたらやっぱり、なにか問題のある行為だったということか。
桃ちゃんにお礼を言ってから、俺は早足に教室を出た。
下駄箱を覗いてみると、春子の靴も須藤さんの靴も残っていた。まだ二人は校内にいるらしい。それを確認してから、あてもなく二人を探し始める。
中庭やら体育館裏やら、ひとけのない場所を思いつく限り順に巡っていく。
だけど五番目に訪れたゴミ捨て場でも見つからず、ちょっと困ってきたときだった。
次はどこへ行こうかと考えながら、何気なく校舎のほうを仰ぐ。そこでふと、目に留まった。
北校舎と南校舎を二階でつなぐ外廊下。そこに、二人の女子生徒が向かい合って立っていた。顔は見えなかったけれど、すぐにわかった。
春子の金髪をありがたく思ってしまったのは、これで二度目だった。
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