02

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 俺と春子はクラスが違う。だから最初に金髪の春子が教室に現れたとき、どれだけの騒ぎになったのかは知らない。  ただ昼休みになる頃には、俺のクラスにもその衝撃が伝わりはじめていた。 「なあ! 卯木さんのあの髪、なに?!」  隣の席の町田が、教室に戻ってくるなり勢い込んで訊いてくる。どこかで春子を見かけたらしい。 「……なにと言われても」  俺にもわからない。  返答に迷いながら鞄から財布を出していると、町田は興奮気味に俺の机に手をついて 「つか、あれ絶対お前のせいだろ!」 「……やっぱそう思う?」 「それしかないだろ。このタイミングだぞ!」  ――このタイミング。  今日は、俺に生まれてはじめてのカノジョができた、二日後だった。 「いや、俺もそうなのかなって思ったんだけどさあ」  俺にカノジョができたことにショックを受けた春子が、やけになって髪を染めた。  いちばん最初に頭に浮かんだ可能性はそれだった。だけど。 「違うみたいなんだよなあ……」  今朝の春子の飄々とした反応を思い出す。似合わないとか、黒に戻せとか、俺がさんざん言ってもなにも彼女に響いた様子はなかった。俺が原因なら、もう少し怒るか悲しむかしそうなものなのに。 「なんでそんなのわかるんだよ」 「や、朝話したときの感じとか」 「そんなので判断できるほど、お前女心わかってないだろ」 「……それはたしかに」  そう言われるとなにも反論のしようがなく、素直に頷く。所詮、生まれてはじめてのカノジョが二日前にできたばかりの男だ。 「あれは絶対、お前のせいだって。間違いない」 「そうなの?」 「そうだよ。どうすんだよ。ちゃんと責任とらないとやばいんじゃねえの、これ」  責任、と口の中で繰り返したとき、ふと春子の両親の顔が浮かんだ。真面目で優しい、いい人たちだ。小さな頃から俺もずいぶんお世話になってきている。金髪になった春子を見て、彼らはどんな反応をしたのだろう。怒っただろうか。もしかしたら卒倒したのではないか。  そんなことを考えているとたまらなくなってきて、ああもう、と思わず頭を抱え込んだとき 「智くん」  ふいに、控えめに俺を呼ぶ高い声が、後頭部に降ってきた。  勢いよく顔を上げる。机の前に立っていたのは、二日前に生まれてはじめてできた俺のカノジョ。 「あ……桃ちゃん」 「ごめんね、遅くなって」  そう言って顔の前で手を合わせる彼女は、今日もかわいい。ショートボブの黒髪が、彼女の控えめでふんわりした雰囲気によくなじんでいる。  ああやっぱり黒髪だよなあ、なんてしみじみ思いながら、俺は首を横に振って立ち上がる。そこでふと、桃ちゃんの手にかわいらしいきんちゃく袋がぶら下がっているのに気づいて 「あ、桃ちゃんお弁当あるんだ」 「うん。智くんは?」 「俺ないから、売店行ってきていい?」 「じゃあ、いっしょに行こう」  やわらかな笑顔で当たり前みたいにそう言ってくれる桃ちゃんは、やっぱりいい子だ。好きだ。二日前から何度となく噛みしめていることを、またあらためて思う。  教室を出ると、春子の金髪はやっぱりそれなりの騒ぎになっていた。  売店でパンを買って中庭に移動するまでのあいだだけで、俺は五人に声をかけられた。春子のあの髪はなんだ、と五人ともに町田と同じことを訊かれた。だから俺も、知らない、と同じ答えを返しつづけた。  そんなのこっちが訊きたい。春子のあの髪はなんなんだ。 「春子ちゃんの髪、びっくりしたね」  中庭のベンチに座ったところで、お弁当のフタを開けながら桃ちゃんが言った。  うん、と俺は疲れきった声で心からの相槌を打つ。 「智くんは本当になにも知らないの? あの髪の理由」 「知らないんだよ。桃ちゃんも、なんか聞いたりしてない? 春子から」  桃ちゃんは春子と同じクラスで、友達だ。俺と桃ちゃんが知り合ったのも、そのつながりだった。 「ううん、とくには。どうしたのって訊いてみたら、イメチェンだって言ってた。春子ちゃん」 「イメチェン……」  パンの袋を開けながら、俺は乾いた声で繰り返す。遅めの高校デビューだろうか。それなら、これからも似合わないと言い続けていれば、いつか目を覚ましてくれるだろうか。だけど春子も、金髪が似合っていないことは自覚しているみたいだった。仕方ない、だとか言っていた。なにが仕方ないというのだろう。  そんなことを考え込んでいたら 「あの、智くん」  横からおずおずと声を掛けられ、はっと我に返る。  見ると、桃ちゃんがちょっと困ったような顔で俺を見ていた。 「あ、ごめん」  たぶん相当難しい顔をしていたのだろう。「大丈夫?」と心配そうに桃ちゃんが顔をのぞき込んできて、「大丈夫大丈夫」と俺はあわてて笑みを浮かべた。  というかふつうに失礼だよな。桃ちゃんといっしょにいるときに、他の女の子のことを考えるのは。やめよう、と軽く頭を振って、気を取り直すように桃ちゃんのほうを向き直る。彼女の膝の上には、彩り豊かな小さなお弁当箱がちょこんと載っている。 「それ、もしかして桃ちゃんが作ってんの?」  と彼女のお弁当を指さして尋ねれば 「ううん、今日のはお母さん。でもときどき、自分で作ることもあるよ」 「マジで。見てみたいな」 「今度、智くんに作ってこよっか?」 「え」  軽く口にした相槌に、思いがけない言葉が返ってきた。驚いて桃ちゃんの顔を見ると、桃ちゃんははにかむように笑いながら 「智くん、いつもお昼パンでしょ。明日、私が智くんのお弁当作ってきてあげる」 「……マジで?」 「うん。一人分作るのも二人分作るのもあんまり変わらないから。楽しみにしててね」  マジか。  俺は口の中で呆けたように呟いて、にこにこと笑う桃ちゃんの横顔を眺める。  カノジョの手作り弁当って。本当にそんなもの存在するのか。都市伝説かと思っていた。 「じゃあ帰りにスーパー寄っていかないと。おかず、何にしようかなあ」なんて、ひとりで楽しそうに呟く桃ちゃんは、さっそく明日俺に作るお弁当に思いを馳せているらしい。かわいい。  ああやっぱり、俺は幸せ者だ。一昨日から何度となく思うことを、再度実感する。そうしてやっぱり、無理だと思った。春子がグレた原因が、俺のせいなのだとしても。春子の更正のために桃ちゃんと別れるなんてことは、できない。できそうにない。
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