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 夕陽に染まった公園に、今日も春子はいた。  いつものようにブランコに座って、物思いにふけるように橙色の公園を眺めている。  俺が通りかかると、春子はすぐに気づいた。「智」小さく呟いて立ち上がる。  俺は黙って公園に入ると、春子のもとまで歩いていった。 「桃ちゃんとは、ちゃんと話せた?」  近づくなり、春子が勢い込んで訊いてくる。 「……話せたよ」  頷きながら、俺は春子の隣のブランコに腰掛けると 「きっぱり振られました」 「え?」 「もう付き合う気はないって。だから別れてきた」  途端、目を見開いた春子の顔が、さっと青ざめる。 「……なんで?」  聞き返す声には、なぜか怒りと失望がにじんでいた。 「智、ちゃんと話してくるって言ったじゃん」 「ちゃんと話してきたよ。そんでちゃんと振られたの」 「そんなわけないよ! だって桃ちゃん、この前、智の好きな食べ物訊いてきたんだよ。智にお弁当作ってあげたいからって。なに入れてあげれば喜ぶかなって」  そのときの桃ちゃんの顔を想像してしまって、鼻の奥がつんとした。 「桃ちゃん、ほんとは智のこと好きなんだよ」 「……知ってる」 「じゃあ、なんで。智も桃ちゃんのこと好きなんでしょ。なんでそれで別れるの」  そう尋ねる春子の顔は、嫌になるほどまっすぐだった。  嫌になるほど、本気だった。  ああもう。口の中で呟いて、頭を掻く。そうしてさっき座ったばかりのブランコから立ち上がると、春子の前に立った。驚いたように俺を見上げた彼女に、人差し指を突きつける。 「――お前のせいだろ!」 「へ?」 「お前が、そんないきなり変な髪にするから!」  目を丸くした春子は、ぽかんとして俺を見つめていた。  その間抜けな顔に、ますます聞き分けのない苛立ちが膨らむ。なんだか地団駄したい気分になりながら、俺は投げやりにまくし立てる。 「気になってしょうがないんだよ、ずっと。おかげでずっとお前のことばっか考えて、桃ちゃんに集中できなかった。そのせいで振られたようなもんだ。完全にお前のせい」 「な、なにそれ」  理不尽な言われように、春子は憮然として突っ返す。 「ただ私が染めたかったから染めただけじゃん! なんで智がそんな気にするの」 「気になるんだからしょうがねえだろ。つーか気になるに決まってんじゃん。俺が桃ちゃんと付き合いだした途端にそんな髪にされたら。なあ、なんなのそれ。マジで傷心アピールなの?」 「ち、違う!」  途端、春子は驚いたように目を見開くと 「そんなんで染めるわけないじゃん!」 「じゃあなんなんだよ。いい加減教えろよ。そのせいで俺はカノジョにまで振られてんだぞ。どうしてくれんだ」 「い、意味わかんない……」 「言わないならもう絶交だぞ。人をさんざん振り回しておいて」  絶交て。  自分で口にしてから恥ずかしくなる。小学生以来だ。こんな単語、言ったのも聞いたのも。  だけど春子には効果的てきめんだったらしい。  途端に叩かれたような表情になった彼女が、足下に視線を落とす。  そうして途方に暮れたように、なにか口の中でもごもごと呟いたあとで 「だってっ、桃ちゃんが、かわいいから」  やけくそみたいな調子で、そう口を開いた。 「は?」 「智は知らないかもしれないけど、桃ちゃんってすごいモテるんだよ」 「いや、知ってるけど」  うちの学年のかわいい女子と言われれば誰かが必ず名前を挙げるぐらいには、桃ちゃんは有名だった。かわいい女の子がモテるのは当たり前だ。考えるまでもなく。 「たぶん智が想像してる五十倍はモテるんだよ、桃ちゃんて」 「マジか」 「だから桃ちゃんと付き合うってことは、智が他の男子から敵認定されるってことでしょ」 「え……そうなの?」  知らなかった。俺、敵認定されていたのか。  でもたしかに、渋谷くんクラスならともかく、俺みたいな地味なやつが桃ちゃんと付き合っていたらむかつくかもしれない。表立って攻撃されるようなことはなかったから気づかなかっただけで、陰ではものすごく睨まれていたのだろうか。  そんなことを考えて、今更ちょっと不安になっていると 「だから私は、中学のときのミカちゃんみたいになれたら、って、そう思って」 「……ミカ?」  唐突に出てきた姉の名前に、ぽかんとする。  春子は強く相槌を打って 「中学に入学したばっかりの頃、智、ちょっと怖がられてたじゃん。ミカちゃんの弟ってことで」 「そうだったな。最初だけ」  ある程度時間が経って、俺のほうはなんの面白みもない平凡なやつだと気づかれてからは、そんなこともなくなったけれど。 「だから傍にああいう不良っぽい人がいたら、みんな近寄りがたいんだなって思って」 「……え」 「私はそういう存在になりたかったの。そうしたら、智も大丈夫かなって。桃ちゃんと付き合っていても。嫉妬はされるだろうけど、直接攻撃されるようなことはないかなって、そう思って」 「……なんだ、それ」  そこでようやく、俺は春子の言わんとしていることを察した。そして唖然とした。 「なんだそれ」  乾いた声で繰り返す。  思わず地面にしゃがみ込む。ああもう。頭を抱え、ぐしゃぐしゃと髪をかき乱す俺に、「智?」と困惑したような春子の声が降ってくる。 「ど、どうしたの」 「バカか、お前」  心底あきれた声がこぼれる。  いや、バカなのは知っていたけど。どこまでバカなんだ。  ――どこまで、俺のこと好きなんだ。 「金髪にしたって誰も春子なんか怖がるわけないだろ。もうみんな、春子がどんなやつかなんて知ってんだから。ちっちゃいし、力もないし、頭も悪いし、バカみたいにお人好しだし。春子が金髪にしたぐらいで誰がびびるかよ」 「そ、それだけじゃなくて、行動も不良っぽくしてたでしょ。遅刻したり」 「毎日きっちり十分な。むしろすげえ律儀だし」  どうしようもなく途方に暮れて、俺はまた頭を抱える。  責任。ふいに、前に聞いた町田の言葉が頭の奥で響いた。  ゆっくりと息を吐く。 「――春子、俺さ」  俺は立ち上がると、春子の顔を見た。何度見ても、おそろしく金髪がなじまない、その顔を。 「ちっちゃい頃に見た映画で、すげえトラウマになってんのがあって」  唐突に変わった話題に、春子が怪訝な顔になる。  うん、と語尾を上げた調子の相槌を打つ。 「フランス人形が動き出して襲ってくるんだけどさ。その人形がすげえ怖くて。そのせいで今でもフランス人形見んの駄目なんだ」 「え、そうなの?」  初耳だという顔で春子がまばたきをする。そりゃそうだ。今し方考えたばかりの嘘だから。 「その人形の髪がさ、金髪で、肩ぐらいの長さで。ちょうど今の春子と同じぐらい」 「え」 「だからさ、正直俺、無理なんだよ」 「……無理?」  春子がちょっと顔を強張らせ、俺を見つめる。なにかを察したように。  俺は頷いて、つらそうな表情で目を伏せてみせる。 「今の春子見てると。その人形のこと思い出して」 「……今も?」 「今も。できれば見たくない。このままだと」  ちらっと春子の顔をうかがえば、真剣な表情で俺の言葉を聞いている。  それを確認してから、俺は絞り出すような声で、告げてみた。 「春子のことも、駄目になりそう」  五秒ほど、春子は無言で俺の顔を見つめた。  やがて、おもむろに膝の上に置いていた鞄を開けた彼女は、あわただしく中を探り始める。しばし探ったあとに取り出したのは、ハサミだった。  ぎょっとする。  まさか、と嫌な予感を覚えながら春子の顔を見ると 「じゃあ、切る」  きっぱりとした声で告げた彼女が、ためらいなくハサミの刃を開き、自分の髪に向けていた。
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