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「智くん、ごめんなさい」  桃ちゃんに泣きそうな顔で深々と頭を下げられたとき、俺は早くも振られるのかと思った。  なんとなく友達の幼なじみがよく見えて付き合ってみたけれど、やっぱり思っていたのと違った、とかそんな理由で。  ああ儚い幸せだったな、と、この二日間の桃ちゃんと過ごした時間が走馬燈のように巡る。だけど仕方がない。そもそもこんなかわいい女の子が、ろくに関わりもなかった俺にいきなり告白してきたこと自体、よく考えればおかしなことだった。そう自分に言い聞かせて、強引に納得しかけていたら 「智くんのお弁当、作れなかったの」 「……え、お弁当?」 「昨日約束してたでしょ。私が智くんのお弁当を作ってくるって。でも朝、時間がなくて……ごめんなさい」  俺はしばしぽかんとして、うなだれる桃ちゃんを眺めてしまった。  やがて理解が追いつくと同時に、身体からいっきに力が抜ける。「あ、ああ、なんだ」俺は大きく息を吐いてから、気が抜けて笑うと 「そういうことか、びっくりした。いや、全然いいよ」 「怒ってない?」 「怒るわけないじゃん。じゃあ、売店行こう」  まるでこの世の終わりみたいな顔をするから、なにごとかと思った。  俺の言葉に桃ちゃんはほっとしたように表情をゆるめると、うん、と大きく頷いた。その心底安心したような笑顔に、俺はまた、いい子だなあ、としみじみ思う。好きだなあ、と。  売店に行くと、桃ちゃんもめずらしくパンを買っていて 「桃ちゃんも今日はパンなんだ?」 「うん。自分の分も作れなくて」 「お母さんも作ってくれなかったの?」 「うん、ちょっと忙しくて……」  桃ちゃんの返答は、どことなく歯切れが悪かった。あまりつっこまれたくないのかと思い、俺はそれ以上訊くのをやめた。  短い相談のあとで、けっきょく今日も中庭に移動した。  昨日と同じように、ベンチに並んで腰を下ろしたところで 「あれ?」  ふと桃ちゃんの足下が目に留まる。学校指定の上履きではなく、なぜか革張りのスリッパを履いている。来客用として学校に置いてあるスリッパだ。 「桃ちゃん、なんでスリッパ履いてんの?」 「ああ、えっと」ちょっと困ったような顔で、自分の足下に視線を落とした桃ちゃんは 「上履き、忘れてきちゃって」 「どこに?」 「え、家に」  返ってきた答えに、一瞬きょとんとしてしまう。  上履きを家に忘れる? 上履きって家に持って帰るのか?  そんな疑問がよぎったけれど、桃ちゃんの困った顔を見ていたら、なんとなくそれ以上つっこめなかった。 「……そっか」首を捻りつつ、そんな相槌だけ打てば 「あ、そのカフェオレ」  いくらか唐突に、桃ちゃんが話題を変えた。俺の持っているペットボトルを指さし、今気づいたみたいに声を上げる。 「期間限定のやつだよね。私も気になってたんだ」 「あ、じゃあ飲んでみる?」  なにも考えず口にしたあとで、はっとする。このペットボトルは俺がすでにひとくち飲んだあとだった。だけど発言を撤回するより先に、「えっ、いいの?」と桃ちゃんが顔を輝かせたので 「ど、どうぞ」 「ありがとう!」  おずおずとペットボトルを差し出せば、うれしそうな笑顔で桃ちゃんが受け取る。そうしてフタを開けると、ためらいなく口をつけた。なんの迷いも照れもない早さだった。  思わずその様子を凝視してしまって、あわてて目を逸らす。ひとりドキドキしている俺の横で、「あ、おいしい、これ」と桃ちゃんはなんともあっさりした調子で呟いて 「ありがとう。私のも飲む?」  当たり前みたいに、今度は自分の買ったミルクティーをこちらへ差し出してきた。 「……い、いただきます」 「はい、どうぞ」  俺の緊張した返事に桃ちゃんはおかしそうに笑ってから、ミルクティーを俺の手に渡す。  当然ながらこちらもフタが開いていて、思わず唾を飲む。  味なんて、全然わからなかった。 「そうだ、今日の放課後ね」  パンをかじりながら、思い出したように桃ちゃんが切り出す。桃ちゃんはいちごホイップパンなんて食べている。パンのチョイスまでかわいい。 「この前言ってた、あのパンケーキのお店に行けないかな?」 「……この前?」  なんの話だろう。  きょとんとして桃ちゃんのほうを見たけれど、桃ちゃんの自分の手元に目を落としていて、目は合わなかった。「ほら、あのお店」俺の怪訝な視線には気づかず、桃ちゃんは楽しそうに言葉を継ぐと 「平日ならたぶんそんなに並ばなくていいと思うし。予約はできないみたいだから、土日はやっぱり厳しそうなんだ」  俺は思わず手を止めて、桃ちゃんの横顔をまじまじと眺めてしまった。  桃ちゃんと、パンケーキの話なんてしたことはない。間違いなく。だけど桃ちゃんは、俺がそのお店を知っていることを前提に話を進めている。  俺の沈黙に、桃ちゃんがこちらを見る。首を傾げて俺を見つめる彼女は、どうやら自分の間違いにまったく気づいていないようで 「……ああ、うん」  俺はつい、見ない振りをしてしまった。 「いいよ、今日行こっか」 「やったあ。ありがとう!」  うれしそうに笑う桃ちゃんの笑顔にはなんの邪気もなくて、けっきょく、俺は最後までなにも訊けなかった。  以前桃ちゃんは、そのお店に行こうと話していたらしい。俺ではない誰かと。わかったのは、それだけだった。
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