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04
「智くん、ごめんなさい」
桃ちゃんに泣きそうな顔で深々と頭を下げられたとき、俺は早くも振られるのかと思った。
なんとなく友達の幼なじみがよく見えて付き合ってみたけれど、やっぱり思っていたのと違った、とかそんな理由で。
ああ儚い幸せだったな、と、この二日間の桃ちゃんと過ごした時間が走馬燈のように巡る。だけど仕方がない。そもそもこんなかわいい女の子が、ろくに関わりもなかった俺にいきなり告白してきたこと自体、よく考えればおかしなことだった。そう自分に言い聞かせて、強引に納得しかけていたら
「智くんのお弁当、作れなかったの」
「……え、お弁当?」
「昨日約束してたでしょ。私が智くんのお弁当を作ってくるって。でも朝、時間がなくて……ごめんなさい」
俺はしばしぽかんとして、うなだれる桃ちゃんを眺めてしまった。
やがて理解が追いつくと同時に、身体からいっきに力が抜ける。「あ、ああ、なんだ」俺は大きく息を吐いてから、気が抜けて笑うと
「そういうことか、びっくりした。いや、全然いいよ」
「怒ってない?」
「怒るわけないじゃん。じゃあ、売店行こう」
まるでこの世の終わりみたいな顔をするから、なにごとかと思った。
俺の言葉に桃ちゃんはほっとしたように表情をゆるめると、うん、と大きく頷いた。その心底安心したような笑顔に、俺はまた、いい子だなあ、としみじみ思う。好きだなあ、と。
売店に行くと、桃ちゃんもめずらしくパンを買っていて
「桃ちゃんも今日はパンなんだ?」
「うん。自分の分も作れなくて」
「お母さんも作ってくれなかったの?」
「うん、ちょっと忙しくて……」
桃ちゃんの返答は、どことなく歯切れが悪かった。あまりつっこまれたくないのかと思い、俺はそれ以上訊くのをやめた。
短い相談のあとで、けっきょく今日も中庭に移動した。
昨日と同じように、ベンチに並んで腰を下ろしたところで
「あれ?」
ふと桃ちゃんの足下が目に留まる。学校指定の上履きではなく、なぜか革張りのスリッパを履いている。来客用として学校に置いてあるスリッパだ。
「桃ちゃん、なんでスリッパ履いてんの?」
「ああ、えっと」ちょっと困ったような顔で、自分の足下に視線を落とした桃ちゃんは
「上履き、忘れてきちゃって」
「どこに?」
「え、家に」
返ってきた答えに、一瞬きょとんとしてしまう。
上履きを家に忘れる? 上履きって家に持って帰るのか?
そんな疑問がよぎったけれど、桃ちゃんの困った顔を見ていたら、なんとなくそれ以上つっこめなかった。
「……そっか」首を捻りつつ、そんな相槌だけ打てば
「あ、そのカフェオレ」
いくらか唐突に、桃ちゃんが話題を変えた。俺の持っているペットボトルを指さし、今気づいたみたいに声を上げる。
「期間限定のやつだよね。私も気になってたんだ」
「あ、じゃあ飲んでみる?」
なにも考えず口にしたあとで、はっとする。このペットボトルは俺がすでにひとくち飲んだあとだった。だけど発言を撤回するより先に、「えっ、いいの?」と桃ちゃんが顔を輝かせたので
「ど、どうぞ」
「ありがとう!」
おずおずとペットボトルを差し出せば、うれしそうな笑顔で桃ちゃんが受け取る。そうしてフタを開けると、ためらいなく口をつけた。なんの迷いも照れもない早さだった。
思わずその様子を凝視してしまって、あわてて目を逸らす。ひとりドキドキしている俺の横で、「あ、おいしい、これ」と桃ちゃんはなんともあっさりした調子で呟いて
「ありがとう。私のも飲む?」
当たり前みたいに、今度は自分の買ったミルクティーをこちらへ差し出してきた。
「……い、いただきます」
「はい、どうぞ」
俺の緊張した返事に桃ちゃんはおかしそうに笑ってから、ミルクティーを俺の手に渡す。
当然ながらこちらもフタが開いていて、思わず唾を飲む。
味なんて、全然わからなかった。
「そうだ、今日の放課後ね」
パンをかじりながら、思い出したように桃ちゃんが切り出す。桃ちゃんはいちごホイップパンなんて食べている。パンのチョイスまでかわいい。
「この前言ってた、あのパンケーキのお店に行けないかな?」
「……この前?」
なんの話だろう。
きょとんとして桃ちゃんのほうを見たけれど、桃ちゃんの自分の手元に目を落としていて、目は合わなかった。「ほら、あのお店」俺の怪訝な視線には気づかず、桃ちゃんは楽しそうに言葉を継ぐと
「平日ならたぶんそんなに並ばなくていいと思うし。予約はできないみたいだから、土日はやっぱり厳しそうなんだ」
俺は思わず手を止めて、桃ちゃんの横顔をまじまじと眺めてしまった。
桃ちゃんと、パンケーキの話なんてしたことはない。間違いなく。だけど桃ちゃんは、俺がそのお店を知っていることを前提に話を進めている。
俺の沈黙に、桃ちゃんがこちらを見る。首を傾げて俺を見つめる彼女は、どうやら自分の間違いにまったく気づいていないようで
「……ああ、うん」
俺はつい、見ない振りをしてしまった。
「いいよ、今日行こっか」
「やったあ。ありがとう!」
うれしそうに笑う桃ちゃんの笑顔にはなんの邪気もなくて、けっきょく、俺は最後までなにも訊けなかった。
以前桃ちゃんは、そのお店に行こうと話していたらしい。俺ではない誰かと。わかったのは、それだけだった。
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